汚染水とオリンピック招致 
   - どっちを優先するのか? -   2013.10.10  
  

東北楽天のパリーグ制覇や、東北を舞台とする連続テレビのヒットなど、この秋は東北に喜ばしいニュースが続いた。
次から話そうと思うのはそんな単純な話ではないけれど、東北を意識しながら考えて見た。
広島と長崎が招致に手を挙げたのは覚えておいでだろう。それに比べて東京は開催趣旨が判然としないと感じていた。
まあ広島・長崎もいろいろと問題があったわけだが、東京には別の問題が。はっきり言ってしまえば「やる必要ない。」
東京は私にとっては出身地であるにも関わらず、そんな冷めた感想を抱いていた。
いやむしろ東京が出身の人の場合には、あまり強い地元愛を持たない人の方が多数派かも知れない。
東京を「我が町」と感じた経験は人生で一度だけ、24時間以上掛かるフェリーで初めて東京港に入港したときだけだ。
その後はフェリーで帰ってきても「また汚い空の下に戻って来た」と思うばかり。
そこに震災があって「復興」が東京開催の趣旨に加わった。けれどもそれは海外にも意味のある開催趣旨だろうか?
それなら何故仙台でなく東京なのか? 後付けの開催趣旨であることは隠せない。
東京で開催しても良いかも知れないが、世界にはもっと有意義な開催理念を掲げられる都市があるのではないか?
国内でも仙台や広島・長崎に負ける。開催趣旨の観点での評価はほぼ零点だ。

汚染水漏れ問題
汚染水の漏出を発表したのが参院選の翌日だった。マスコミが選挙報道に追われて目立たないタイミングを狙った、
あるいは、参院選で原発再稼働方針の自民党に勝利させるために、選挙前は伏せておいた、などと批判されていたが、
大方のところこれらの分析は正しいような気がする。多分両方とも狙っていただろうと思っている。
この汚染水問題が、オリンピック招致の終盤になって、にわかに影を落とし始めたのはご承知の通りである。
福島と東京は距離が離れているから大丈夫。それが招致委員会の見解だった。とりあえずこの説明は科学的に正しい。
一応説明しておくと、原発事故の当初は東京も一定程度のリスクに曝されていた。
あの時は空気中に放射性物質を吹き出してしまうような状態だったから、その濃度が更に上昇したり、
そのタイミングが運悪く東京の方向に風が吹いる時で、更に東京上空ま来て雨が降る、と言うように悪いことが重なると、
東京の放射線量が跳ね上がる可能性もあるにはあった。
けれどもあの時の東京のバカ騒ぎには荷担したくない。明らかに福島の人達の方が高いリスクに曝されているのに、
作業員が高い放射線を浴びながら必死で事故の収束を目指しているのに、そっちのけで東京の人が買い占めに走る?
被災地に届く品物が減る問題は報じられていたが、個人的に直面した問題は当時まだ東京に住んでいた両親のことだ。
両親とも脚がおぼつかなくなっていて、ちょっと押されただけで転倒して頭を打ったりしかねない状態になっていた。
パニックに陥った人が買い占めに集まるような店に行くのは危険と判断して、普段の買い物まで控えることになった。
パニックに陥る人は自分が被害者だと思いたいようだったが、東北や身近にもいる弱者を蹴散らす行為、悪くすると、
命まで奪いかねない行為なのだ。
話を戻すと汚染水は、今後非常に悪い方向に進めば、海を通じて東京まで届く危険性はあるけれど、海の水は飲まない。
いやいや東京湾の水なんて元々飲める代物ではない。セーリングの選手が誤飲? 胃腸の心配が先だと思う。
飲まないけれども体外被曝は? と問えば、海を介しているのにそんな高濃度で届くのは不可能な相談である。
地下水を通じて東京の地下水が汚染される危険性は、福島との距離が遠すぎて考えられない。
再び吹き上がって事故直後を大きく上回るような事態があるとするなら、それは再稼働した別の原子炉の話になる。
福島第一原発の1~4号炉が再稼働することはあり得ないから、今のままとしてそこから放射性物質を吹き上げるには、
冷却を止めて放置したとしても、それでももしかしたら発熱量が小さくて、もう吹き上がりすらしないかも知れない。
それよりも再稼働して新たに事故を起こすリスクの方が高いのではなかろうか? しかしそれは日本に限らない。
だから彼らはマスコミに対して逆に質問しても良かったのだ。「具体的にどういう危険性を危惧されているのですか?」と。
福島の汚染水と東京五輪を結びつける科学的根拠を見つけるのは難しい。
“だからこそ”、汚染水が原因で東京が招致に失敗したなら、そこには象徴的意味があった。

「天罰」
最終プレゼンテーションのテレビ放映は台所仕事やペットの世話などしながら見ていた。東京のプレゼンが始まる前から
識者とキャスターがいろいろ議論していた。「距離が遠い」という説明では「福島を切り捨てる」ことになる。
そりゃそうだ。明らかに東京には危険が及ばない。だからこそ逆に、この問題への姿勢が問われることになるのだ。
東京に関係が無くても汚染水問題の収束が先だし、震災復興全体がオリンピックより優先して進めるべき重点課題だ。
今はオリンピックにうつつを抜かしている場合ではない。
そこで暴言を思いついた。「科学的根拠のない理由で落選するのは天罰だ!」
「天罰」とはもちろん東京への五輪招致を言い始めた前都知事への当てつけだ。彼は震災の時「日本人への天罰」と言った。
日本人に天罰を下す必要がある、と言う主張も同意できないが、百歩譲ってそうだとしても、何故東北なのか?
被災した人が罪でも犯したというのか? 亡くなった人の罪は特に重かったとか? 違うだろう。 彼自身も違うと言っていた。
個人に罪がないにも関わらず、集団としての日本人の罪を個人が負うとしたら、それは“生け贄”である。
不快感を覚えたのは私だけではなかった。非難されて翌日には撤回したが、「これぞ暴言のお手本」と言うべき暴言だった。
あーあ、これで私も彼の仲間入りだな。
汚染水問題がオリンピックに絡まなければ、未だに東京電力に任せて政府はノータッチだった可能性が指摘されている。
そう言う態度が問題視されなければならない。こうしたテレビの論調には全く同感だった。
そんないい加減な震災復興しかしてこなかった日本政府に、オリンピック開催の名誉は不相応というものだ。
科学的には東京が汚染水のリスクに曝されているわけではないのに、汚染水を理由にして落選したならば...、
福島の問題を放置した東京が、東京自身ではなく福島の抱える問題のために落選するなら、これこそ「天罰」ではないか?
それが私の言う「天罰」の意味だ。
そうは言ってもやはり少しだけ不平等な罰である。日本人全員ががっかりするのは、為政者を選んだ責任もあるから良い。
けれども心待ちにしていたアスリート達は、平均的な日本人よりも余分に落胆するが、彼らの責任が大きいわけではない。
責任と罰の対象者が一致するか、前都知事の「天罰」発言ほど酷くはないものの、多少のズレがあると言えよう。
しかしそれ以上に大きいのは、五輪招致の落選では死者が出るわけでもないし、家を流されるとか財産を失う人もいない。
やはり「天罰」はその程度にしておきたい。

地下水?? 話が違うような気がするんだけど
蛇足になるが、地下水について違和感を感じている。中学生の頃だったろうか、昔聞いた議論だ。それを今も覚えている。
「原発がそんなに安全なら東京に建てよ。」 「そうは行かない。原発は岩盤の上に直接建設するから安全なのだ」
東京の地下の岩盤は遥か深くにあり、その上に分厚い堆積層が乗っているから、掘っても岩盤には届かないと言う話。
ところが今回、福島第一原発は地下水を汲み出し続けないと、建屋が船のように水に浮き上がってしまうと言っている。
岩盤の上に直接建てているのに、何でその下を地下水が流れるんだ?
あの話はウソだったのか? 福島第一原発の下の地層は水を大量に含んだ隙間だらけの地層なのだ。岩に大量の水?
東京と同じような堆積層かどうかは分からないが、隙間だらけなのか、あるいは大きな亀裂が走っていて水が流れるのか、
とにかく「丈夫な岩盤」とは言えない。何しろ「岩盤の上に建てて岩盤と一体化する」と言うような意味だったのだから、
仮に水が流れてきても、原発の建物があれば迂回して流れる筈だ。コンクリートの建物が雨をしのぐのを見て分かる通り、
コンクリートの水密性は結構なものだ。
正確には岩盤と言えども内部に細かい隙間があって、そこを少しずつ水も流れる。これまたコンクリートも同じだ。
けれどもそんなに流入量が多いと言うのは話が合わない。それに浮き上がるのであれば岩盤と一体化していない。
仮に堆積層でも、大きな建造物では重量に堪えられるように、杭を深く打ち込む必要がある筈で、
それが岩盤に届いているかも知れないが、それは原発に限らず普通そうだ。もしや普通の建物と同じ方法で建ててないか?
ならば「東京に建てられない」という話も疑って良い? にわかに「????」 ・・・ 疑問だらけになってしまった。
以前活断層に関わる疑問についても書いたが、原発の立地場所は本当に安全を考えて吟味されているのだろうか?
ひょっとして地質学的な検討はほとんどされていないのではあるまいか? 益々疑問が膨らんで来る。

最終プレゼンテーション
そうこうする内に東京の最終プレゼンテーションが始まった。最初は東日本大震災での各国からの支援へのお礼だった。
良いと思う。お礼の重要性は以前も述べた
その次の佐藤選手。彼女の話を聞いて思わず目頭を熱くしてしまった。名前も顔も忘れていたが、途中で思い出した。
以前テレビで「義足側で踏み切る」などと取り上げられていた人だ。
「このプレゼン、私なら投票したくなる。けれども他の都市もきっとこう言うハイレベルのプレゼンをしているのだろうな。」
これはどうやら私の誤解で、日本の最終プレゼンテーションは特に優れていたようだ。
更にこれまで不明瞭だった東京の開催趣旨も一気に決まったように感じた。 「スポーツの力」 これが開催趣旨だ。
依然として「何故東京か」分からないが、彼女の言葉にはそれを忘れさせる“力”があった。
佐藤選手の話で胸一杯になって、続きが頭に入ってこないので少し仕事に戻った。もしここで委員の立場だったとすると、
気をそらさず聴き続ける義務がある。大変な役割だなと思った。
総理のプレゼンが始まったら聴こうとテレビの声に注意していたら暫くして始まった。急いで仕事を中断してテレビの前へ。
総理は「汚染水問題の収束を含めた東北の復興に責任を持つ」ことを宣言した。
それを聞いて想像してみた。もし「天罰」が下って落選したら、総理は「あの約束はなかったことに」となるのだろうか?
当選した場合と比べてどうだろうか? 当選した方が却って汚染水にも復興にも取り組むかも知れない。
確かにオリンピック開催の栄誉に相応しくないが、駄目な政府に少しでも取り組ませるためには東京開催が良いかも。
そんなわけで「天罰」は東北のためにならないから要らない。代わりに「汚染水に取り組め」と尻にムチ入れる。
「オリンピックのために汚染水はストップ。オリンピックに恥ずかしくないように復興する。」 それで実を得る。
オリンピックが先でその手段としての復興、そう言う発想にお灸を据えたくもなるが、復興が進むこと自体が優先する。
招致成功が東北のためかも知れないな、と考え直した。
実際のところは分からない。東京でオリンピックが開催されることで、福島にそして東北に世界の耳目が集まり続ける。
だから原発事故にも復興にも取り組まざるを得ないが、一方でオリンピックの準備にも取り組まなければならない。
そのために復興に振り向けていた資源をオリンピックに回すことにならないか、東北の関係者は本気で心配している。
プラスマイナス両面がある中で、どちらが優勢となるかは予想できない。それどころか将来結果を見てさえ判断できない。
とにかく東京開催で進むことになったのだから、その上で原発事故と東北復興に向き合って行こう。
先に「姿勢の問題だ」と言ったが、そう言う意味で復興特別法人税の前倒し廃止は気になる。税収増が見込まれるのなら、
他の部分で減税するのが「復興に取り組む姿勢」と言うものだろう。税収の増加分を復興予算に上乗せしても良いくらいだ。
土地を買うお金がないから浸水地域に家を建て直すしかない、等という話が報道されているのを目にすると、
復興の予算が足りていないことは明らかだ。汚染水問題にしても、お金の掛かる対策を後回しにした結果とも言える。
やはり政治に携わる人々の姿勢は復興とは違う方向を向いているように見える。だとするなら周囲が言い続けるしかない。
「オリンピック招致の時の約束だったでしょう。」

開催地はどこへ? 結果発表が待てない。
最終プレゼンテーションの順番は東京が2番目だったから、その後のマドリードと比較しようと思ってテレビを見ていた。
東京のプレゼンは良かったように思うが、他はどうなのか? ところがテレビは再び識者の話に戻ってしまった。
彼らの意見では「東京のプレゼンはイスタンブールよりもはっきり良かったような気がする。身びいきのせいかなあ。」
自分の印象に自信が持てない様子だったが、そうやって内省しながら言っている方が、断言する人より信頼できるかも。
私自身の経験と重ねながらそう思った。
イスタンブールの懸念材料は治安とか隣国の内戦だと言う。隣国が足を引っ張るなんて「気の毒」としか言いようがない。
マドリードの方が強力なライバルだと言うが、開催趣旨では東京と大差ない印象を持つ。
スペイン経済の立て直しと言うことだが、それは世界共通の目標たり得るのか? 一方強みは人脈だそうだ。
けれどもテレビを見ている内に人脈の弱点に気づいた。「東京に恩のある委員は一度は東京に投票してくれるが、
次の投票では別の都市に投票する。そうやって複数の都市に恩を返すのだ。」と言っていた。これはマドリードにも同じ筈。
するとどうだろう。マドリードは投票が進むにつれて票が減っていき、東京とイスタンブールの戦いになっていくだろう。
投票回数が増えれば、委員達の投票先は「本当に開催して欲しい都市」に収斂していくそうだ。
ではイスタンブールとの比較ではどうなのか。開催趣旨で魅力的なイスタンブールではあるが、マイナス要素の方も深刻だ。
自分が当事者だと思って考えて見る。一言で言えば「投票したいが投票できない」と感じた。
東京も投票したいとは思わないだろう。今回は「マイナスの戦い」と評されていたが、全くその通りで「どこがマシか?」だ。
そこでマシなのはどちらかというと東京だ。そのように判断して思う。「この判断は日本人としての身びいきの影響だろうか?」
それに私の場合、汚染水が科学的には東京の脅威にならないことを重々承知している。その影響もあろう。
放射線と放射性物質について、ほぼ一般人と言って良いIOC委員から見ると、その部分はどのように見えるのだろうか?
その点でも私の判断は彼らと異なる要因を抱えている。
放射線や放射性物質の振る舞いを知りたいと思って勉強すればそれほど難しいことではない。投票という仕事のために、
もし勉強したなら彼らの判断も私と同じ所に落ち着く可能性が高い。問題は勉強している暇があるか、また気力があるか?
何人かは勉強するかも知れないが、それが多数派であるとは考えにくい。
そうなるとやはり私の判断を彼らの判断に重ねることは出来ないことになるが、...。もうこれ以上予測しても無意味であろう。
どのみち決まるのは朝方で、まだ暫く先だ。それまでテレビを見続けることは無理なのだから、と考えて床についた。
「東京に決まりそうな気がする。」 そう思いながら。
翌朝結果を確認する。ご承知の通り第一回投票ではイスタンブールとマドリードが同数で、二回目は落選を決める投票。
ここでマドリードは落選したが、これは昨晩私が予想した通りで、マドリードにとって投票が繰り返されることは不利に働く。
その次の決選投票も結果的に予想通りだったわけだ。
とにかく「おめでとう」と言いたい。東京ではなく日本のアスリートに対して。

(写真について) 先日いつもの通勤路を自転車で走っていたら、少し離れた場所に太陽電池パネルが設置されていた。
いつ設置されたのか全く気づかなかった。多分私が自転車を使わない時期に設置されたのだろう。
田畑の中の割と広い領域が囲われて太陽電池が並んでいた。周囲に視界を遮るものが乏しいので遠目にも見える。
囲いの中には全く草が生えておらず、柵も太陽電池も表面が綺麗で真新しい。建設してから日が浅いことは明らかだった。
誰が設置者なのかと近づいて、入り口まで訪ねてみたが結局分からなかった。
固定価格買い取り制度の適用を狙って建設したのだろう。もしかしたら制度以前の個人的問題を抱えていたかも知れない。
この土地を耕してきたご夫婦がもう高齢で、広い土地を耕作する体力がなくなってきたのだとしたら。
放置するよりは土地を有効活用しようと考えた。それがエネルギーの生産だった、と言うストーリーだったのかも知れない。
日本の土地の場合、エネルギーと食糧のどちらを作るのが望ましいか、資源問題として捉えた時の判断は微妙なところだ。
しかしここは素直に「良きこと」を認めて多としたいと思った。


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