科学者の「本当に良いこと」 
 -環境フォーラムで井野先生に講演して頂きました-   2013.7.5 
  

東大名誉教授の井野博満先生とは、日頃から物理学会で親しくさせていただいている。物理学会では通常「さん付け」で、
多分「先生」とお呼びするのはご本人が喜ばないと思うので、次からは「井野さん」と記すことにする。
講演は先月20日にあった。タイトルは「3・11以降のエネルギーと環境の課題 -原子力発電の技術史的位置-」。
佐賀県には玄海町に原子力発電所があって、そこには1号炉から4号炉まで4機の原子炉がある。今は全て停止中だが、
その1号炉について井野さんは特別に注目されている。
玄海原子力発電所から佐賀市まで、直線距離で50kmほどである。福島の事故で汚染が広がった飯舘村が40km程度なので、
距離的に少ししか違わない。タイミング悪く風下になっていたり、更に具合悪く佐賀市上空まで来て雨が降ったりすれば、
佐賀市の住民も避難しなければないのではないか、そう言うことを意味している。彼はその玄海発電所を問題にしている。
これは佐賀市民としては気になるだろう、と考えて講演をお願いすることにした。

中性子の照射と脆化
幾分専門的になるが、彼が問題にしている玄海1号炉の脆化に関して説明しておく。少々難しいと感じる人もいると思う。
そういう時は、最初は読み飛ばして先を読んで置いて、後から振り返って読むという方法もある。
結論から言うと1号炉の圧力容器の材質の劣化が問題なのだ。材質の劣化をテストした最新の点検で、不自然なデータが出た。
「脆性遷移温度」と言うものが焦点になっているのだが、過去のデータから見て突然不自然に脆性遷移温度が上昇したと言う。
まず「脆性」とか「脆化」の意味を説明して、次に何故温度が関係するのか、最後に中性子、と言う順序で説明しよう。
(脆化) 「脆化」とは、堅くなって脆(もろ)くなる、と言う事なのだが、例を挙げるとガラスのようなものは堅くて曲げると割れる。
それに対してゴムは柔らかく、曲げたら曲がることが出来るので、曲げただけで割れるようなことはない。
実のところガラスもゴムもミクロに原子配置を見ると相当面倒な物質なのだが、マクロに見て分かりやすい例として挙げておく。
要するに問題は曲げへの“粘り”なのだ。圧力容器は鋼材で出来ているのだが、その“粘り”が無くなると壊れやすくなる。
例えば緊急炉心冷却で水を大量に注入したとき、圧力容器の外は高温で中が急に冷やされる。中と外で熱膨張の大きさが違い、
それが原因で内壁は引きちぎられる方向に力を受ける。原子炉の鋼材には通常それでも壊れてしまわない程度の“粘り”がある。
だから「緊急炉心冷却で原子炉がパリンと割れて中の放射性物質が飛び出す」等という事故は起きないようになっている。
ところが堅くなって脆化していると、急冷したときガラスのように割れてしまう危険性が高まる。そのために時々検査する。
原子炉の中に圧力容器と同じ材質の試験片が幾つか入っていて、点検の時にはその内の一つを取り出して割ってみる。
こうして破壊してしまった試験片はその後使えないから、次の点検では炉内に残してある別の試験片を取り出して調べる。
試験片の数が少なすぎて何年かに一度しか調べられないのが問題点の一つなのだけど、玄海1号炉の場合データがおかしい。
今はデータの不自然さの方を問題にしている。
(温度) さて、それでは「脆化」の話に「温度」がどういう理由でくっついている来るのか。その説明に移ることにしよう。
柔らかい物質も温度を下げると堅くなって割れやすくなる。だから「脆さ」の度合は温度にも関係することになる。
脆化しているとそんなに温度を下げなくても堅くなって割れやすくなるのだ。
そこで脆化度合を表現するのに、「同じ条件で割れる温度は何度か」を考える。それが「脆性遷移温度」と言うことになる。
「脆性遷移温度」が高ければ余分に脆化していることになる。
原子炉の圧力容器が割れたら困るから、温度を変えながら試験片を叩いて割ってみる。更にそれに要するエネルギーも調べる。
こうした作業を繰り返して得られた測定データから、「脆性遷移温度」を求める。
そのため実は一度の測定でも、異なる温度で複数の試験片を割る必要がある。そこで複数の試験片をセットにして入れてあって、
脆化度合を測定するときは、その試験片セットを一つ取り出して使うことになる。
建設時に原子炉の中に、そう言う試験片のセットを数セット入れておく。廃炉までに数回調べることが出来ると言う仕組みである。
(中性子) それでは何故圧力容器は脆化するのか。主な原因は中性子の照射だと言う。原子炉内は中性子が高速で飛んでいる。
放射線の一種である中性子線であるが、これが核分裂反応の連鎖に欠かせない重要な役割を担っていて、
反応を制御するために炉心部に入れたり出したり、細かく調整している制御棒も、結局のところ中性子線の量を調節している。
その中性子線が炉心の外にも飛んでいき、圧力容器の内壁にも当たる。それが中性子の照射である。
高速の中性子が金属に飛び込むと、金属中の原子をはじき飛ばして金属原子の配列が乱れる。そうすると金属は堅く脆くなる。
意図的に不純物を混ぜて作った合金が堅いのも大体のところ同じ理由だが、今の場合にはむしろ建設時の材質を保ちたい。
"粘り"が必要で脆化して欲しくないわけだ。
とにかく中性子の照射で脆化するので、中性子照射量で脆化度合が決まるはずだ。結局中性子照射量は運転時間と比例するので、
運転時間が長くなると徐々に脆化が進む。そこで脆化が運転と共にどう進行するか、予測式が立てられている。
玄海1号炉について以前測った脆性遷移温度のデータはそれ程大きく予測式からずれていなかったのだが、最近久しぶりに調べたら
大幅にずれてしまった。温度が高い方に、つまり脆化が進んでいる方向に大きくずれてしまった。
原因は良く分からない。井野さんの疑念は「試験片の材質が一定しないのではないか」と言うことである。もしそうだとするなら、...
試験片だけではなく、圧力容器自体の材質が均一になっていないかも知れない。それは深刻な問題を示唆することになる。
圧力容器の材質が不均一で、その中で最も脆化の進んだ部分がいつかパリンと割れるかも知れない。
確かに不自然なデータの原因は推測に過ぎない、けれども「事故の時の影響の大きさを考えて、玄海1号炉は動かさない方が良い」
というのが井野さんの主張だ。
そう聞くと玄海1号炉に限らず他の原子炉も疑いたくなる。ところが原子炉の建設時に十分な数の試験片を入れていなかったから、
何か疑念が生じる度に取り出して調べる訳にいかない。予定より先に取り出して割ってしまったら、後々試験できなくなる。
そこで井野さんの提案は「建設時期の古い原子炉は鋼材の不純物が多い筈だから運転を止める」というものなのだが、
元々構造的に問題があって、少なすぎるデータを使った"推定"によってしか議論できない。この不健全な状況を喩えて言うなら、
霧にかすんだ向こうの事を「私にはこう見える」と学者達が論じ合っているような光景だ。
少し詳しい人ならご存じと思うが、古い原子炉の寿命を延ばすと発電費用を下げることが出来るから、電力会社の立場は逆だ。
そこで同じ"少なすぎるデータ"を見て「安全であり、運転して良い」と結論づけようとする。
それに対して井野さんの判断では、全国で一番最初に止めて欲しい原子炉が玄海原発1号炉、と言う事になるのだそうだ。
同じような理由から"止めたい原子炉"を優先順位をつけて並べれば、複数が列挙されるわけだが、その筆頭が玄海1号炉だと言う。
これは佐賀県民としては気になる話だ。
講演では時間の関係で中性子照射脆化の話は駆け足だった。けれどもその後の質疑応答では、予想通りこの話に質問が集まった。
玄海原発1号炉の圧力容器が脆化によって破裂した場合にどういう事態が想定されるのか、等々。

科学者の「本当に良いこと」
当日の講演はゆっくり始まった。講演時間は1時間半だが最初の内はゆっくり話していて、「時間が足りなくなるのではないか」と
ハラハラドキドキだった。資料1頁当たりの時間を計算すると1分程度、その倍以上の時間を掛けてゆっくり文明の興りとかの話題、
この調子では原子力の話に辿り着かないのではないか。
ところが途中から時間を調整していって、最後は感動的な締めくくりだった。本来なら彼を呼んだ私が感動していてはいけないが、
不覚にも感動してしまった。最近宮崎駿さんが自分の作品に涙したと恥じていたが、そう言う類の“プチ恥”だった。
井野さんは福島の原発事故に際して、ストレステストと高経年化の2つの意見聴取会に加わって、専門的立場から意見を述べている。
当時テレビを見ていて井野さんの姿が映って驚いたのを記憶している。記憶では、非公開にして場所を移そうとするのに対して、
「公開で開くべきだ」と言って反対したのが井野さんともう一人、とか言う場面でテレビに映っていたと思う。
その後も何度か井野さんの姿をテレビで見た。他の専門家と違った発言をするためか、割と良くマスコミに取り上げられていた。
そう言う議論の中で、井野さんの周囲にいた科学者・技術者がどう振る舞っていて、井野さんはそこで何を感じたのか語ってくれた。
「原発をめぐる学者の責任」が講演の終章だった。
最初の自己紹介でも「学者は、専門から一歩踏み出した発言が必要。百歩はいけない。踏み外した発言になる」と語られたが、
最後もまた「学者は社会の中でどうあるべきか」に話が戻ってきた。そして自分達学者に向けて戒めるように語られた。
当日資料から引用すると、
1. 水俣病と闘った原田正純先生・・・「医者が中立的であるとはどういうことか」⇒患者の立場に立つこと、力のない弱者に寄り添うこと
2. 科学者・技術者は客観的事実に忠実でなければならない。市民の立場に立とうと企業の立場に立とうと、事実を歪めた主張を
してはならない。
今の例では、玄海1号炉の試験片で脆性遷移温度が異常に上昇したこと、これが事実である。また中性子は金属の脆化の原因、
これは科学的真理に類することだ。時に科学者は、自分の都合や誰かの圧力に負けて、事実や真実を曲げてしまうことがある。
それに対する戒めが井野さんの掲げる二つ目の項目である。
少なくとも九州電力は事実を公表したが、真実に対する態度には不満だと言うのだが、それは科学の限界とも関係している。
完全な真理はあり得ず、少し幅がある。しかも今は少ないデータがその幅を広げて、その範囲で都合の良い方を選んでしまう。
けれどもそう言う態度で良いのだろうか? 科学的探求ならば「都合良く解釈してみたらどうなるか」調べてみる価値もあるが、
原子力設備の安全性に関する判断の場合は違うだろう、と井野さんは考えている。
これと全く同じ構図が活断層に関しても発生していて、私としては言いたいこともあるのだが、その話は稿を改めるとしよう。
確かに都合の良い解釈が真実である可能性もある、けれども今の場合、不都合な可能性を考えて原子炉の運転を諦めるべきだ。
この判断は科学から出てくるようなものではない。リスクに対して向き合う社会としての合意、と言うような種類のものである。
科学の示す制約や、科学が予言できる能力の限界、そう言った諸々の条件を理解した上で、我々は決断を下さなければならない。
その決断の基準は科学の外側にあって、科学者が占有するものではない。科学者が科学的知見を提供したならば、
その後に社会として決断する時には科学者も一市民に過ぎない。そこで心ある科学者は講演するとき、判断を聴衆に委ねようとする。
だがその期待に聴衆が応えるのはそんなに容易ではない。講師の結論を鵜呑みにするのではなく、科学的知見を理解した上で、
最後の判断を自分自身で下さなければならないからだ。多くの場合、理解が追いつかなくなって講師の結論を鵜呑みにしたくなる。
けれどもそれは後々混乱する原因だ。
「結局安全なのか危険なのか、それだけ知りたい」と言って、その講師が導いた結論だけを心に留めて帰り、後に別の講師の話を聞く。
次の講師が仮に良心的に科学の部分で嘘をつかなかったとしても、一市民としての判断は異なり、違った結論を述べるかも知れない。
科学的知見の部分がほぼ同じであるにも関わらず、それに気づくことができず、結局「どちらを信用すれば良いのか」戸惑ってしまう。
だから井野さんも言っていたことだが、忍耐強く理解する努力を止めないで欲しいと思う。
最後の判断で科学者は一市民に過ぎないが、それでも多くの市民はその判断に注目する。その時に科学者はどうしたら良いだろう?
もはや科学は判断の指針を与えないが、井野さんの判断基準では、「弱者に寄り添うこと」、そのように宣言している。
そこには現実の社会の力関係に対する科学者として彼なりの分析もある。そうすることで力関係の不平等を補正して公正なものに近づく。
だから「弱者に寄り添うのが良い」と。では力関係を補正するのが正しいことなのか、これも科学の扱う範疇の外にある価値観である。
結局その価値観は井野さん自身のものなのだ。
井野さんの掲げたこれらの戒めを聞いて思い出したことがある。
科学者の「ほんたうにいゝこと」は何だろう?
「ほんたうにいゝこと」とは宮沢賢治の作品に出てくる言葉なのだが、以前にも言及した『ナウシカ解読』の中で知った。
その時に私はじっくり考えて見たのだけれど、井野さんもまた「科学者の本当に良いこと」を考えた末、上のような結論に至った。
そう言う具合に感じたのだった。
漫画版の『風の谷のナウシカ』で見せるナウシカの人物像を分析して、「ほんたうのいゝこと」を考え続ける人だ、と著者は言っている。
具体的には、「事実として利害が対立し、立場の両立し難い者がこの世界の中で共に生きていこうとする」 そう言うことである。
戦場にあってナウシカはその利害の対立に悩みながら、自分も戦友も敵までも、更に戦争と関わりのない生物をも生かすために戦う。
ナウシカの戦いの目的は、彼女が属した軍隊の目的である「敵を倒す」こととは違っていたから、当然意見の対立もある。
一方で味方を救うためにも彼女は戦って、感謝もされる。そう言う彼女の行動の裏にある悩みは宮沢賢治の言葉のようだと言う。
それは、人として「本当に良いこと」は何か、と言う意味なのだが、それを読んだ私はしばらくの間、自分を振り返って考えたのだった。
科学者の「ほんたうにいゝこと」は何だろうか? と。
この問いに対する井野さんの答えは常識的ではある。普通によく言われていることを反芻しているに過ぎないようでもある。
それでも彼の言葉が心の琴線に触れた理由は、井野さん自身のこととして語られたからに違いないのだ。
ご自身の経験を下地にして、先人の言葉を噛みしめて、今彼が直面している問題、つまり「原発の安全性」にそれを投影しての言葉。
科学的に疑念の余地がないように思われる指摘を否定される理不尽な経験、そう言った実体験から「学者のあるべき姿」を内省したと。
気のせいかも知れないが、終わった後の拍手がいつも以上に大きいように感じられた。

(後日談的付け足し)
稲葉振一郎氏の『ナウシカ解読』に言及したのは二度目だが、改めてこの本には大きな影響を受けてきたことを実感している。
中身は書名からイメージする以上に高度な哲学書だ。3回も精読して最後は付箋を付けながら読んで、やっと納得したが、
これは私流の「哲学書の読み方」に従ったわけで、哲学書なら他の書物でも読み終えるのに恐ろしく時間が掛かってしまう。
それでも読み込まなければならない理由があって読んだのだった。
『風の谷のナウシカ』を授業の題材にしようと決めたときに、学術的にこの作品を論じた書物を見ておく責任があると考えた。
そのような書物の中で、分析の深さに於いて圧倒的な存在感を感じさせたのがこの本だった。
そしてその内容に心打たれる。そこで稲葉氏のもう一つの著作(分厚い方の本)も読んでみたら、期待に違わず再び心打たれた。
その経験が拙著『「青き清浄の地」としての里山』を書く動機の一部分にもなっていく。
科学者として、更には人間として、どのように生きていくべきか、と言うような自分自身の根幹に関わる思想的基盤を与えてくれたのが、
『ナウシカ解読』だったと言っても良いかも知れない。
拙著に反映した部分は『ナウシカ解読』の中でも学術的に論理を構成できる部分だけである。そこに絞って議論を展開したが、
複数あり得る議論の進路の中でどれを選ぶのか、言うまでもなく筆者の嗜好を反映することになる。論理以外でもそう言う部分に、
本を読んだ私の経験がにじみ出ているはずだ。
実は井野さんも拙著を買って読んで下さった。今回の講演のために佐賀空港に迎えに行ったとき、開口一番に拙著を褒めて下さった。
その時は挨拶として褒めて下さったのだと思って、普通にお礼の言葉を返しただけで深く考えなかった。
ところがその後、佐賀環境フォーラムの講演の前に前学長のところにご案内したときにも、拙著を読むように勧めて下さるのだった。
井野さんの話を聞くためにそこに集まっていた数人に向かって、「是非読むように」と。同じことがその後、もう一度繰り返される。
環境フォーラムの講演の後の懇親会で、そこに集まった10名ほどに向かって「あの本は良いから」と。
そんなわけで、誠に恐縮なことに、挨拶ではなく、言葉通り本当に拙著に満足して頂いていたのを知ることになった。
繰り返すが『ナウシカ解読』は難解だ。何を言っているのか簡単には分からない。けれども学術書に心打たれることはままある。
ある意味では井野さんの講演もそれに該当すると言って良い。学術的講演に感動が伴ったのだから。
科学的真理は事実としての圧倒的重みを持つが、一方で科学的に問うことが出来るにも関わらず、実際には断定できない事柄も多い。
科学者としての複雑な推論過程では事実と真理への冷徹な服従、そして分からないことは「分からない」と事実を言うだけだ。
そこには真理だけがあり、人間性はないように見えるかも知れないけれど、最後にそこから彼は人間の世界に戻って来た。
そして人間としての魂が「弱者に寄り添うのだ」と言う時に、科学の真理に従って考えてきたことが本当の意味で力を発揮する。
科学者も一市民として「本当に良いこと」を求める。科学に忠実でありながらも、それが示す事柄に喜びもすれば悲しみもするのだ。
学問に無関係に何か理想的なスローガンを述べるのは簡単だけれど、学問に根ざして論理的飛躍をしないで理詰めで考えた先に、
理想を掲げることが出来たならば、それが我々の心に訴えかける力は比較にならないほど大きなものになって、永く残るのである。
科学の真価が問われるのは、むしろ科学者が一市民の立場に戻って来たときなのかも知れない。

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