ラグビー「世紀の番狂わせ」 
 - あれっ、そんな強豪が相手だったんだ!     2015.11.1  
  

4年後に日本で開催されるラグビーワールドカップのロゴマークが、つい先日発表された。そのデザインを見て好感を抱いた。
立体的に中央が膨らんで、遠景の富士山が隙間から覗く。特に黒がバックの方は、艶やかで彫りが深く、立体感が際立つ。
平面なのに立体的に見えるデザインが他にあったかどうか。やっと思い出せたのは会社のロゴマークのみ。
少なくとも珍しいことだけは間違いないと思う。・・・ これは良いっ!
どうしてもオリンピック・パラリンピックの時のデザイン盗用疑惑問題を思い出してしまうが、商標について私はよく分からない。
素朴な印象として、あんな単純なデザインにまで権利を認めていたらきりがないと感じたが。
「テレビ観戦することにしようか」
あの試合は、昼間は空き家になっている東京の実家の整理をして、佐賀に戻ってきた日のこと、翌る未明の放送時間だった。
その前は施設の親を訪ねていて、その前の数日間は佐賀にいたが、更にその前は学会出張だった。
こう言う日程は苦手だ。出張だろうが旅行だろうが、出かけると神経がすり減ってくたびれる体質なのだ。
だからあの日の晩は、“連続した仕事を無事終えた開放感”を味わっていた。テレビでも見ながら夜更かしがしたいを思って、
番組表を見るとちょうど良い具合に、ラグビーW杯に出る日本代表の初戦がライブ中継されるようだ。ルールも知らないのに、
放送時間だけを理由にこれを観戦することに決めた。
かつて私はスポーツの試合をテレビで見るようなことはしなかった。当時はスポーツの番組を見ることが苦痛だったからだ。
それは学校での体育の影響だった。例えば高校でのバレーボール。いま思えば視力の問題もあった。
まず自分の方向に飛んでくるボールが、自分の前に落ちるのか後に落ちるのか、直前まで分からない。
気づいたときはもう間に合わないから、当然ボールは拾えないで目の前に落ちる。そこで友達の怒号を浴びる。
徒競走とかなら視力は比較的影響が小さいが、それでも運動能力は平均と比べると低かった。だが友達に申し訳なくはない。
断然その方がましだ。苦痛の記憶を呼び覚ますもの、それがスポーツ番組だから、そんなもの見たいわけがない。
その私を変えたのはサッカーW杯の日韓大会だった。日韓の和解のためにお互いに応援し合いましょう、と言われた大会だ。
その掛け声に興味を覚えていたところ、大学生協に行くと日本代表試合のパブリックビューイングに向かい合って、
3段重ねくらいになった学生のピラミッドができて、「ウォーッ」と唸りながら全体が一つの生き物のように動いていた。
その様子に引き寄せられて、暫く“学生ピラミッド”の横で試合を観戦した。もちろん学生と同様、日本を応援しながら。
その場を離れるとき考えた。「日本を応援したから、今度は韓国を応援する義務があるかも知れないな」と。
それから時間に余裕のあるときは日本の試合も韓国の試合も見るようにした。そして感じたのだ。案外、面白いではないか!
この時までに過去の辛い記憶が和らいで、観戦することで呼び覚まされなくなっていたのだった。
さて、ラグビーの試合を見ていると次々疑問が湧いてくる。ボールを抱えて突進するのは、前にパスできないルールの結果?
抱えているボールを直接奪うのでなく、タックルしているが、ではどういう時にインターセプト可能なの?
どうもボールを前に落とすだけでもダメらしい。キックなら前に蹴ってそれを味方が受けても良いみたいだけど、
初めから前で待ち受ける味方選手はいなくて、走って落下地点を目指しているところを見ると、何か制限があるのだろう。
サッカーのオフサイドみたいな、と思いきや、どうもそれとは違う意味でラグビーにも「オフサイド」と言う反則がある様子だ。
プレイのエリアから出たボールを投げ入れる権利がどちらにあるのか、出した側に権利のあることもあるようだ。
その境目は未だに分からない。そう言えば投げ入れたボールを受けるのにも何かルールがありそうだ。
両チーム向かい合わせに並ぶがそれは何故? そして一人を高く掲げて受けるのは投げ入れたチームなのは何故?
単純に高さの勝負なら、相手チームも同じようにして競り合えば良さそうなのにしない。これはルールのため? それとも戦術?
もう分からないことばかり、だけど楽しく観戦できた。
今大会の日本代表が、これまでとひと味違った準備をしているらしいことは、テレビでやっていたので、それとなく知っていた。
けれども相手の南アフリカがどう言うチームなのかは知らずに、テレビに向かった。
試合は拮抗していてシーソーゲームの様相だったが、そんなものなのだろうと思って観戦していた。
テレビの解説者は「強豪相手に互角に戦っている」とも「ラグビーは元来番狂わせが起きにくいスポーツだ」とも言わないから、
試合の中盤まで「互角の相手に互角の試合をしているのかな」と思って見ていた。
だが終盤になると観衆が色めき立ってきているのが、鈍感な私にもはっきりと分かった。
日本のチャンスに沸き立って、相手のチャンスにブーイング、ホームゲームでもここまで露骨になるだろうか、と言う有様だ。
日本は地元ファンを味方に付けた、と解説者。でも当初は日本のプレースタイルへの好感、と言う感じの説明だった。
汚い反則をしないと言うことかな? 大体の競技で日本人のプレースタイルはそうだよね。
あの時ラグビーでは通常あり得ないはずの番狂わせが起きていたことを、本当の意味で私が理解したのは翌朝のことだった。
確かに最後は解説者も「大金星」と言っていた。でもそれ、結構頻繁に聞く表現だから...。
次第に騒然とした空気に包まれていったあの試合を、リアルタイムで見ていたのは本当に偶然。翌日のマスコミの騒ぎを見て、
「幸運だったな」と、しみじみ思った。
試合最終盤で得た相手の反則で、同点狙いではなく逆転を狙いに行ったわけだが、それは解説者の選択肢にも挙がっていた。
相手が一人少ないから、スクラムによる力の真っ向勝負を選んでも良いかも知れない、と言う説明だった。
しかしそのとき私には逆転を狙うしか選択の余地がないように感じられた。
「完璧に観衆の心を掴んだ日本チームには、その期待に応えるために、もはや逆転狙いしか許されない」
もちろん戦術としては選択の余地があるに決まっているが、スポーツを支える大勢の観衆が、いま求める物語はどちらなのか?
観衆の発する異様な雰囲気は、テレビ画面から伝わってきて私も圧倒されていた。リーチキャプテンの決断はスクラムだった。
しかしあの時のエディヘッドコーチからの指示はペナルティーキックで同点狙いだったのだそうだ。
選手達が逆転狙いを望んでいて、それを受け止めたキャプテンの決断だったと言う。選手がスタンドと一つになっていたわけだ。
そうだ! 正面突破で逆転、決着だ! 誰もが望んだ劇的幕切れが現実のものになった。
結局日本は決勝トーナメントに進めなかったが、「最強の敗者」と海外メディアから戴いた勲章に、根拠を与える記録を作った。
「3勝を挙げながら予選敗退した史上初のチーム」と言う記録は、予選敗退した過去のどのチームよりも強い、と言い変え得る。
目標は逃したけれど、「史上初」の記録を作れるのは1チームだけなのだから、却って大きいような気さえする。
選手の思い
リーチ選手をキャプテンとしていることに興味を覚えた。海外にルーツのある人だと一目で分かるが、それは不利にならないか?
例えば「日本人の心が分からない」とか、そう言う不満が出てくるとチームが纏まらなくなるが、
そんな初歩的部分で間違うはずはなかろうから、むしろ選手達の信望が厚くてキャプテンに選ばれている、と考えねばなるまい。
謎は試合後に解けた。インタビューに応じる彼の温和な表情を見て、試合中の厳しさとのギャップに私も心惹かれた。
試合のMOMに選ばれたのは一番小柄な田中選手。小柄でも戦える方法を開拓した日本チームの特徴を象徴する選出だった。
元々細い目を更に細めて笑う彼の表情も、内側から人柄の良さがにじみ出るようで、好感が持たれる。
あの日の試合よりも前にテレビで私が知っていた選手はもう一人だけ、五郎丸選手だった。
何か“ナイスガイ”がいるぞ、と思っていた。更に試合での得点でも、キッカーだから当然だが、チームで一番の数字を上げる。
その彼が佐賀の高校出身と知って嬉しかった。これでラグビーに焦点が当たったなら彼は人気者だろうな。
女子サッカーの川澄選手とかもそうだった。ルックスを兼ね備えた選手は広告塔としての役割まで担わされてしまうことになって、
それは気の毒な面もあるように感じていた。
けれども彼から出てきた言葉に、全く違った彼の思いを知ることになった。話題になったキック前の動作について言っていた。
ルーチン動作を決めておくとプレッシャーの掛かる場面でもいつもと同じキックが蹴れる。
更に身体の軸を意識する動作が良い。それだけでなく、今大会の成果によって全国に知れ渡った場合のことも考えたと言う。
子ども達が覚えて真似をすることまで想定して決めた動作だと言っていた。
またしても !  競技の人気の低さに苦しむ選手の声
女子サッカーと全く同じことがラグビーでも起きていたのだ。どうにか世間に振り向いて貰いたい。子ども達の目標になりたい。
だから自分の性格云々言っている場合ではなく、広報に役立つなら自分を使って下さい、と言うことなのだ。
ラグビーをマイナースポーツと呼ぶのは、さすがにちょっと違うような気がする。
けれども最近は長期低落傾向が進行していることは承知していた。親が子どもの怪我を恐れてラグビーをやらせたがらないとか。
半分はイメージの問題かも知れない。明らかにもっと危険と思われるのに人気上昇中の競技もあるから。
余談だが折角の女子サッカー人気が高まっている内に、早く日本でW杯を開催した方が良いんじゃないのかなあ、と思っていた。
どうも2023年に立候補しているらしい。それなら必要なのは国内に気運を高めて、開催への追い風を作ることかな。

話変わってJリーグの始まった頃、それ以前から人気のあった野球の関係者が、サッカー人気への敵対心を顕わにしていた。
確かに現実には同じパイを争う側面があるだろう。だが脚を引っ張り合う“醜態”を見せられたら幻滅してしまうだけだ。
その結果は客観的に見て「パイ自体を減らす」と言うことであって、スポーツ界全体にとってマイナスだ。
野球とサッカーに関しては、現状はどちらも充分に脚光を浴びて良い状態だと思う。
話ついでに昨日の野球について触れる。いま執筆時点での昨日、地元のホークスが日本シリーズを二連覇した。
昨晩その報に接して、「やっぱり今年のホークスは強いな。確実なんだから、わざともう一敗して本拠地で優勝でも良かった?」
その位に今年のホークスは強く安定していた。
実は私はホークス以上にファイターズを応援している。理由の一つは私の経歴、北大を出ているから第二の故郷のようなものだ。
もう一つの理由は、いわゆる個人情報に属するようなことに関わるのでここには書けない...。
地元の野球ファンは多くがホークスの熱烈な応援団で、ファイターズとの試合の時だけ私は「御免ね」。
更に球団創設時の経緯や震災など、何かと応援したくなるイーグルスを追加して、応援する3球団は全てパリーグだ。
そこで心の中で決めた。パ6球団中この3球団が全て残りの3球団と対戦して、更に3球団とも勝ったらその日はラッキーデーだ!
この条件なら確率は低い筈、と思ったら、実際には案外と頻繁に巡ってきた。
不思議に思って計算したら、といっても通常の順列・組合せではないので、見落としがないかと、複数の方法で検算してみたが、
どうやら、対戦カードが全体で15通り、条件付対戦カードは6通り、割って0.4、と言うのが正しいようだ。
結局この数字が予想外。対戦カードが「3つ全てについて残りの3つと対戦」になる頻度は、4割もあるのだ。
仮に各々の勝率を1/2とすれば、20回に1回もの頻度で巡ってくる計算になる。いやはや、直観的には信じがたいほどの高確率。
これではラッキーデーにならないなあ。
そんなこんなで野球はセ・パで興味の度合が違いすぎて、時にはパリーグの結果だけ見たら、セは省いてチャンネルを変えたり...。
佐賀でも割とジャイアンツファンが居るのが理解できない。東京出身の私が今も昔も全く応援したいと思った試しがないのに何で?
ともあれ、今年のパリーグ優勝時は佐賀にいなくて優勝セールを逃したので、今回は店を巡ってみよう。
野球とサッカーの比較に関して、普段のテレビ観戦で気づいたことに触れておこうと思う。野球にはサッカーにない難しさがある。
まず同時に別のチャンネルで野球とサッカーをやっていて、両方見たいと思っている状況を想像して欲しい。
実際にそうなることは時々あるのだが、そんなときは結局サッカーを中心にテレビ観戦する結果になる。
どうしてかと言うと、野球にはプレーの切れ目が頻繁に訪れて、集中して見るのは「投球から捕球までの間」だけだ。
特にイニングの切れ目にはそれ以前のプレーを振り返る。途中から見る人に優しいが、既に見た場合はサッカーに移動する。
ところがサッカーはプレーの切れ目がないに等しい。だから点が動いていてリプレイが見たければ、ずっと見続けざるを得ない。
更に試合時間が決まらないのも足かせだ。そのため番組終了が頻繁にずれ込んで、今度は次の番組の視聴者から嫌われる。
実は子ども時代は野球中継が大嫌いだった。見たい番組が削られる原因だったから、「憎き野球」だ。
現状は野球人気が充分に高いから多くの試合が放映されているが、もしも一度不人気になると、元に戻すのが難しくないだろうか?
番組が組みにくいからと言う理由で断られるかも知れない。
試合時間の決まらない競技は他にも多い。バレーボールもそうだし、テニスや卓球もそうだ。これらもそれなりに放映される。
またバスケットボールのように試合時間の決まっている競技もサッカーだけに限られない。ラグビーもその仲間。
どれも野球やサッカーほどには放映されないから、そこが決定的な分岐点になっているわけではない。複数の要因の一つとして、
将来的に足かせにならないかな、と気になっていると言うことだ。
本当は一番の問題は、アメリカのメジャーリーグへの我々の関わり方なのかも知れない。問題は「世界一」の言葉に象徴される。
頂点がアメリカの国内リーグであると言うことが、この競技に世界的広がりがないことを表している。
間もなく開かれるプレミア12の方が「世界一」に相応しいが、これはクラブチーム世界一ではないので、位置づけが少々違う。
WBCも同様だが、更にメジャーリーグ主催である。にも関わらずメジャーリーグから軽視されて有力選手が参加しない!
まさかとは思うが、メジャーリーグでは自分たちが世界の中心であり続けるために、他国で盛んになるのを妨害しているなんて...。
アメリカの国力がそうさせるのか? 他にもアメリカンフットボールなど、アメリカの内と外で差が大きい。
一方サッカーもラグビーもイギリス発祥だが、これらではイギリスが頂点ではない。どこが違うのか? 分析し切れていない。
起源が圧倒的に古いと言うのでもないようなので、その違いとしては発祥国の置かれた状況の差くらいしか私には思いつかない。
とにかく野球はまず、「世界一」の意味が変わる必要があるのではないか。

(写真について) ラグビーに関わる写真は持ってないなあ、と暫く考え込んだが、「これだ!」とひらめいてカメラを手に撮影に出た。
それにしても、あの屈強な“力自慢”達のエンブレムが桜とは...。咲いてすぐに散ってしまう儚い花。
もしかして「チームのために何度でも当たって砕ける選手の姿を、辺り一面に散った桜の花びらが象徴している」のだろうか?
そうだとするなら日本の中でのラグビーではなく、他国のチームと比べて体格で劣る日本を表現しているのかも知れない。
撮影に出る前に、まず手持ちの写真で桜を探したが、良い写真がなかった。春は遠すぎるなあ、と思って再びひらめいた。
学内に十月桜が植わっているではないか。狂い咲きで一年に二度咲く品種だ。ちょうど今頃が秋の開花時期に当たっている。
この季節に活躍したのだから、彼らの桜はむしろ十月桜であるべきではないだろうか?
撮影していたら近くでボールの弾む音がして、隣のフェンス内でバレーボールをしていた学生が「すみません」と謝ってくる。
よく見ると桜の向こうのクリークの水面に波が立っている。背伸びしてみたら水に落ちてしまったバレーボールが手前に浮いていた。
水面まで落差1.5m程。あれま、どうやって拾ったら良いだろうね。結局網が届いてすくい上げていた。


                                 研究室トップ