太陽光発電の買取中断 
   - 発電量が調節できたの?         2015.5.28 
   

ニュースとしては少し古い話だが、電力会社による太陽光発電の買取中断が昨年秋から実施され、様々な意見が出た。
しかしそこで議論されている内容があまりにも意味深長すぎて驚愕している。
個人が住宅の屋根に設置するような小規模なものは買取中断の対象から外された。それで一安心した人も多いだろう。
では大規模な太陽光発電設備の場合、どういうときに買い取って貰えなくなるのか?
発電量が多くなって送電網の容量を超えた時だと言う。そういう時は発電事業者に出力抑制をお願いするのだそうだ。
しかしそれが意味することの重大さに、電力会社は気づいているのだろうか?
発電量は調節できなかった筈では?
これまで常に言われてきた自然エネルギーの短所に、発電量を調節できない点がある。ところが「調節してくれ」と言う。
これは矛盾していないか? 一体全体どうなっているのだろうか?
実は太陽電池(下記注1)の発電量を調節したければ、単に太陽電池パネルを回路から切り離す、
細かく言うと太陽電池パネルは直列と並列を組み合わせた複雑な接続がなされているが、その中で並列の1系列を外す。
操作という意味ではスイッチを切れば良いだけの話なのだ。つまり、
実際には発電量を調節できるのである。
では何故「発電量が自然任せで調節できない」と言われ続けてきたのか? それはもう1つの短所、発電単価と関連する。
発電量を調節すると発電単価が上昇してしまう。太陽電池は設備自体の費用が高く、運転時の費用はほぼゼロ。
太陽電池の寿命は決まっている(下記注2)から、限度いっぱい発電し続けた方が、寿命が来るまでの発電量が増えて、
発電量当にした時の設備費用が下がる。
そこで元々選択肢があったのだ。
(A) 発電量を調節できるものとして、その代わり発電単価は高い、と言う運転方法
(B) 発電量は目一杯稼いで発電単価を下げる。その代わり発電量調節能力はない、と言う運転方法
本来どちらを選んでも良かったのだが、我々は(B)を選んできた。その前提があって初めて発電量調節の弱点が出てくる。
誰もその点を指摘しないので、今までは私もそれに従ってきた。
「自然エネルギーは発電量が調節できない。その点は弱点だ」 と。
けれどもこの言葉には前提があること、その点が常に気になっていた。実際には調節したければ簡単にできてしまう。
自然エネルギーの短所だと見なされてきたけれど、本当は自然エネルギーを利用する際の運転方法の問題なのである。
我々が選んだ運転方法、即ち目一杯発電すると、発電量は調節できない。
しかもそれは火力発電でも同じ。火力発電でも目一杯発電したら発電量は調節できなくなる。他のどの発電方法でも同様。
「目一杯発電すれば発電量が調節できなくなる」なんてことは当たり前で、それが発電方法に依存する方が元々おかしい。
にも関わらず、発電量調節能力を自然エネルギーに特有の短所に挙げる理由があるとするなら、
「概して発電単価が高いからそれを補うために目一杯発電した場合を想定しよう」
とコンセンサスができあがっていた。そう考える以外には、これを弱点に掲げることに説明の方法がないものと考えていた。
ところが、である、電力会社が突然そのコンセンサスを破ったのである。驚愕!!
もしコンセンサスがなかったと言うなら、今までの話は一体何だったのか? 「発電量の短所は欺瞞でした」とでも言うのか?
何を今更。信じられない!
原子力発電にも同じ問題
以前も少し書いたが、どの発電方法なら発電量を需要に合わせて調節できるかどうか、その能力を比べるのは案外難しい。
需要の変化に応じて、急激に発電量を増やしたり減らしたりする能力では、水力がダントツである。
火力も調節できるが、それほど素早く調節できないし、それに出力を半分に絞る程度まで、と言う限界もある。
原子力は全く調節できない。
原子力の場合、発電量は自然任せではないのだが、全く出力を絞ることができなくて、常にフル稼働してしまうのである。
そこでどうしているのか?
(1) 他の発電方法と併用して、他の部分で発電量を調節して貰う。
(2) 蓄電設備である揚水発電ダムに、余った夜間電力を蓄えて、昼間不足する時に放電(放流)する。
これらの方法を適用できるのは自然エネルギーの場合も同じで、何も原子力に限った話ではない。そこで言い方を変える。
「自然エネルギーは発電量が一定しない」
けれど原子力は発電量が一定で困っているのだ。「本質は発電量調節能力」なのを、何か誤魔化しているように聞こえる。
更にこうした対策以外にも原子力の発電量を調節したければ、件の太陽光発電と同じ方法がある。つまり、
(3) 発電してもそれを送電網に流さない。
現実的な問題を言えば、原子力発電の場合は、単純に回路から切り離しただけだと細かい調節ができないし、
原子炉への負荷の変動という問題もある。タービンに向かう水蒸気をバイパスして減らす方が、設計しやすいかも知れない。
けれども実際の原子力発電所は、フル稼働前提に造られているのは言うまでもない。
(1)~(3)のどの方法であっても、また、それをどの発電方法に適用した場合でも、発電単価は上昇する。そこまでは同じ。
筈なのだけれど、実際に発電単価を計算する場合には(3)以外は勘定に入れない。
そのためフル稼働しかできず、それを全て電力として供給する原子力の発電単価は安くなる。
反対派が時々問題にしているのはその点だ。揚水発電所は原子力発電所の附属設備だから、発電費用に算入せよ、と。
けれども電力会社の立場では、揚水発電所は特定の発電所のバックアップではなく、全体の電力供給を支えるものと言う。
結局、揚水発電所を初めとして水力や火力の発電量調節能力も、それらを利用することで原子力や太陽光が支えられる。
そう言う意味で、原子力は自然エネルギーと非常によく似た立場にある。
ではどこが違うのかというと、調節できない結果としての発電量に違いがある。一方は変動して、もう一方はフル稼働固定。
需要はまた別の動きでもって変動するから、どちらにしても蓄電などの補償設備がないと需要に合わせられない。
実は「太陽光の変動は幾分需要の動きと近い点が優れる」とも言われている。
昼間発電して夜間は発電しない。需要も昼間に多く夜間が少ない。だから好都合だ、と言う意味だ。
とは言え、ぴったり一致するわけではないし天候にも左右されるので、やはり蓄電や他の発電などの補償設備が必要になる。
大雑把に言って、原子力に対して準備した設備が太陽光などにも使えることになる。
そうした観点から学生の卒業研究として、揚水発電の蓄電容量を見積もって貰ったことがある。既存の揚水発電所ではなく、
地形図から読み取って設置可能場所を洗い出した。地形の他には制約がないものとしてであるが。
因みにこの計算は、卒業後に私が途中の計算をチェックした上で物理学会に発表した。学生の名前も発表者に入れて、...。
作業が大変なので九州のみ計算したが、日較差に対してはその50倍にも達した。年較差に対してはもう一歩届かなかった。
潜在的には相当な蓄電容量が見込めると言える。既存設備はその40分の1程度だがそれでも結構大きい。
今回の買取中断に際しては、原子力発電は全て再稼働させた前提で、太陽光発電の買取可能量を見積もったと聞いている。
全国の原子炉を全て再稼働する日が訪れることは、まず考えられない現在の状況にも関わらず、それを前提とするとは!
その結果、発電量調節能力が逼迫して太陽光発電の買取可能量が減る原因になった、と見なすのはさすがに単純すぎるが、
不信感を抱く理由になっているのは間違いない。
殊に「揚水発電は原子力の附属設備ではなく、電力網全体に使用する」という先の反論を思い出した時、益々疑念が膨らむ。
揚水発電の蓄電能力を原子力の補完に優先的に使う方針が、買取中断の背後に本当にないと言えるのか?
少なくとも発電量調節能力に関しては、原子力が自然エネルギーと同じ弱点を抱えていること、その点は認めるべきである。
認めるだけでなく毎度言及しなければ、一般人は正しい判断ができない。
のだから「言及しないこと」それだけでも世論をミスリードして都合の良い方向に導こうとした、と言われても仕方がないと思う。
元々そう言う点で電力会社の言動に疑問を感じていた。そこに今回の件。
終わりに
是非とも言っておきたいのは、太陽光発電の発電量調節能力について、前提を覆した電力会社は今後どう評価するのか?
(B)から(A)へ、これは一種の“パラダイム転換”とも言える、我々の共通認識に対して変更を迫る大転換になっている。
言い出しっぺの彼らが責任を持って新たな評価基準を示して、世に問うべきだろう。
発電量調節能力は太陽光発電の短所から外すのか? 外さないなら買取中断は許されまい。そこで短所から外すものとしよう。
その時、太陽光発電の発電単価をどのように計算するのか? 言い出しっぺが黙っているのは無責任というものだ。

(注1) 太陽電池と太陽光発電の関係 太陽電池は太陽光発電の装置の1つである。他にも太陽光で発電する方法がある。
例えば太陽光を集光して水を加熱、発生した水蒸気でタービンを回しても発電できる。
「太陽熱発電」とも言うが、エネルギー源を辿ってみると太陽光のエネルギーを利用していて太陽電池と同じである。
これらの発電方法には優劣があって、条件が良ければ太陽電池よりもエネルギー変換効率が高い。
弱点は天候の変化に弱いこと。曇り空などの散乱光が多い時は鏡による集光が巧く働かない。砂漠などに適する方法だ。
一方太陽電池のメリットは天気変化に強いこと以外にも、可動部がないためメンテナンスをほとんど要しない点が大きい。
住宅の屋根のような場所は日常的に人間が上がる場所でないし、各々の屋根の上の設備は小さい。
そこに頻繁なメンテナンスの必要が生まれると労力が増大して、延いては人件費を跳ね上げることになるところであるが、...。
元来自然エネルギーは広く分散して供給されるので、メンテナンスフリーな発電装置が適するのだ。
(注2) 太陽電池の寿命 太陽電池の寿命は結論から言うと明確に決まらない。昔は10年と言われていた。今は20年くらいだ。
太陽電池の性能向上もある。耐用年数の長いものが作られるようになった。
それに昔は作って何十年も経っていなかったから、余り長い年数を宣言してしまうと、実際その年数を経て大丈夫か心配だ。
今では「どうやら30年くらい保証しても大丈夫そうだ」という感じになっているのだが、それが発電単価に大きく影響する。
太陽電池の発電量は少しずつ低下するが、大幅に減るわけではない。充分な発電量がまだある時点を耐用年数とする。
その時点までの積算発電量によって、設備費用(+メンテナンス費用)を割り算すれば、発電単価が求められる。
そこで耐用年数を長く採れば積算発電量が増加して発電単価は低下する。逆に短めに見積もれば発電単価は上昇する。
太陽電池の寿命をどうするかによって発電単価を調節できてしまい、恣意的要素が入り込む余地がある。
運用実績から見ると、20年でもまだ短すぎると考えられているのだが、太陽光発電を普及させたくないと考える人から見たら、
これ以上耐用年数を伸ばしたくないと言うことになる。

(写真について) 鯱蛾(シャチホコガ)と言う蛾の幼虫。面白いポーズをとるので写真に撮っておいて、後から名前を調べたら、
まさにこの姿勢が元になった和名が付いていた。顔面を枝に押しつけて懸命。何だかいじらしい。


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