中国から見た世界 2013.4.10 |
時々想像してみるのだが、中国にとって今の世界はどう映っているのだろうか?
ひとまず中国の気持ちで考えてみて、それから改めて客観的に眺めてみるとしよう。
間違いなく一人っ子政策は中国の経済発展に役立ったと言えそうだが、
そのために一方で大変な犠牲を払うことになったのも事実だろう。
そうして今先進国の仲間入りを果たしたと言って良いところまで来た訳だが、
中国という特大のジャンボジェット機が離陸した後に、飛び続けるための燃料が足りない。
石油資源の安価なものは大部分が消費されてしまって、海底油田だとかシェールオイルだとか、
採掘に手間の掛かる高価な石油を使わねば、中国は空を飛べないのだ。
何故かつての先進国と同じ資源が中国のためには用意されていないのか、
どうして資源は中国にとって不公平に配分されるのか、釈然としないに違いない。
ただ単に産業の発展の時期が遅かっただけなのに...。
資源には人一倍敏感になってしまう。その気持ちは分かるような気がする。
さてこうして見ると、似たような経験をした国がある。かつての日本がそのひとつだ。
第二次世界大戦の時の枢軸国は、日本とドイツ、イタリアの3カ国だったが、
これらの国々が共通して直面していた問題がある。
他の先進国、つまりイギリスやフランスよりも産業の発展と植民地の獲得が遅れて、
これらの国が発展したときには、植民地化が容易な地域はもう残っていなかった。
そこに到来した世界的不況によって、各国が閉鎖的な経済政策を採る中で、
3カ国には植民地がないために真っ先に経済が立ち行かなくなってしまった。
それがこれらの国々を侵略戦争、つまりこれは無謀な植民地獲得戦争とも言えるのだが、
そう言う無茶な戦争に駆り立てたのだ、と見る見方もある。
だからと言って、日本のとった行動が許されるとは思わない。
しかしこの経験は、今の中国がかつての日本と同じ轍を踏まないための参考にならないだろうか?
日本政府が孤立の道に踏み出したときに、日本国民はそれを積極的に支持した。
人間は苦しい状況に置かれると攻撃的になる性質を抱えているものだから、
他国の要求に厳しく反発したのだ。そして国民の多くは自国の正義を信じていた。
あの時の日本人と、今の中国のネット世論はどこか似ているような気がするのだ。
「どうして中国人はそんなに強硬なの?」としばしば感じるのだが、そう言うことだったのか?
尖閣諸島の海域には海底油田が広がっている。推定埋蔵量も相当大きなものだとされる。
ベトナムやフィリピン等と争う南シナ海も、同じようにエネルギー資源に富む海域である。
その資源を獲得しようと中国が強硬奪取に打って出るとするならば、それはつまり中国にとって、
かつての日本の行為と同じ意味合いになるのではないだろうか?
第二次世界大戦の後、その反省を踏まえて世界の国々は歩み出した。
その反省の中には、閉鎖的な経済政策を避けること、逆に言えば自由貿易の方針も含まれていた。
そして徐々に植民地も独立していき、各国の経済は植民地に依存しなくなっていった。
「植民地が資源」と聞いて違和感を持ったと思う。そこにも生身の人間が生きているのだから。
今の経済はその違和感に答えるように、完全とは言えないまでも構造的に変化しているのだ。
植民地依存の代わりに石油依存の経済構造になっている。
もし「歴史は繰り返す」ならば、石油のような枯渇する地下資源に依存した現在の経済システムが、
今ちょうど限界にさしかかっていて、新しい経済システムに転換する前夜にあるのかも知れない。
かつて植民地依存経済が終焉を迎えた時代の前夜に起きた出来事と同じように。
このところ盛んに議論されているTPPを初めとする様々な自由貿易圏の構想も、
かつての植民地貿易圏の仕組みと似て無くもない。それ故最初に聞いたときには戦慄を覚えた。
そう言う構想が語られる必然性を持った時代的背景と言ったものがあるのかも知れない。
かつてとは世界経済の仕組みが違うし、それに応じてか、自由貿易圏も広くとられていると思う。
何より植民地前提の貿易圏ではなく、独立国家同士が集まって貿易圏を作り出そうとしている。
だから違いも確かにあるのだが、今の時代に貿易の枠組みに焦点が当たる根源的理由は、
あの時と共通している可能性がある。
歴史の反省を踏まえて言うならば、その自由貿易圏から閉め出される国を作らないことだろうか。
かつての日本は各国の作り上げた植民地中心の貿易圏から閉め出された国のひとつだった。
そこで中国がかつての日本と同じ轍を踏まないために必要なことは、
なるべく多くの自由貿易圏に参加して貰うことなのかも知れない。
そして理想を言えば、自由貿易圏は世界全体に広がっていくべきものなのかも知れない。
ひいてはそれが日本の安全保障にも繋がる、と言えるのではないだろうか。
一般的に防衛力の根幹は軍事力ではない。世界の国々との間の良好な関係の方が、
現実の国際社会で日常的に機能して、国家の安全を維持している基盤的防衛力なのである。
常々そう思うのだが、長くなったのでその話は機会を改めることにしたいと思う。
(注) 尖閣諸島の海底油田について、現実的な落とし所は共同開発かも知れないと感じている。
我が国の領土と考えれば、国内の企業が好きに採掘して中国が欲しければ中国に輸出する。
理屈はそれで良いはずだが、今のままでは政治的両竦み状態で、この資源には手が出せない。
プラント建設か何かの部分で中国に寄与して貰って、それを理由にすれば、
領有権を渡すことなく、中国にも一定の権利を認めることは可能だろう。
中国が求めた結末ではないにせよ、とにかくこうして懸案の資源にアクセスできるようにする。
しかし別の観点からの問題はある。石油流出事故のリスク等々、どう考えるのか。
(写真について) 先日撮った雲の写真。白い雲と黒い雲が重なる珍しい空だった。
車の運転中だったので、信号で止まったときにパシャリ。前景に余計な送電鉄塔が入ってしまった。
写真芸術としては「鉄塔良し」と思うが、この時の主役は雲だったので...。
撮影した後、何が起きているのか考えたら、あっけなく一瞬で分かってしまった。
白い雲は上空にあって夕陽が当たり、黒い雲は低くてもうこの時間は陽が当たらないのだ。
それなら黒い雲の方が白い雲の手前に見えるはず、と改めて確認すると確かにそうなっている。
ぱっと見では白い雲の方が目立つので、手前に感じていたのだけど。
研究室トップ