「人間の野生寿命」仮説     2015.3.2 
     

近頃めっきり涙もろくなった。いつから涙もろくなったのだろうか? 大学生の頃だから、実は「近頃」というのは正確でない。
先日も目にゴミが入った時にちゃんと涙が出なくて困ったと言うのに、何かに感情を揺さぶられて涙するのは簡単だ。
例えば1ヵ月ほど前のニュースで湯川遥菜さんのお父さんの後ろ姿を見たときにも、目が潤んでしまった。
「貴方は父親、特別な立場なのだから息子の死に、悲しみ乱れても構わないのに...。ね、もう気を回さなくて良いから」 
自宅に押しかける大勢の報道陣に一人で応じる心細いお年寄りの背中から、忘れずに後藤さんへの謝罪が出てくるとは...。
だが昔であれば、滅多なことで私は感情を揺さぶられることがなかった。真逆と言って良い変化である。
今や自分で書いた文章を読んで目が潤んだり。拙著もそうだったし、ここに載せた文章でも2013.7.5などがそれに当たる。
文章の推敲作業の時なら、まあ一人でやっているのだから困りはしないが、
話している時に何か感情が湧き起こってきて、声に詰まることまである。授業とか講演とか、声を出さねば始まらない。
そうなった時は息を止めて直るのを待つ。2-3秒で復帰できるので、言葉を切るタイミングまで話して止めれば目立たない。
けれども時々そのタイミングまで保たないことがあって、そんなときは具合が悪い。
だが、実は感情だけでなかった。もっと色々な変化があったのが、大学1年生の頃のことだった。

その変化を受けて、当時「人間の野生としての寿命」というものを考えた。考えただけで検証していないのだから仮説である。
「人間の野生寿命」仮説 と名付けておく。
当時聴講していた授業のひとつに人類学の授業があった。その授業は文化人類学ではなく、自然人類学の内容だった。
この先生は成績評価が甘いと、教員間で“悪い噂”があった一方、「内容が面白い」との情報も聞こえてきていた。
その内容に惹かれて受講したのだが、単位欲しさの受講生も多く、大教室がいっぱいになる盛況だった。
さて授業の中で意外なことを聞いた。北京原人だったかと記憶するが、彼らの寿命はせいぜい二十歳程度だったと言うのだ。
化石の年齢を調べるとどれも二十歳に達していないから、と言うのがその根拠だった。… 短命だ!
この話は当時感じていた自分自身の内的激変と符合するように思った。激変する前の私は、一言で言えば“野生”だった。
例えば生殖。子孫を残すには性欲は必要だろうけど、恋愛とか要らないよね。生物としては何か異常事態かも。
現実には性欲は邪魔だった。社会で生きていく上では困った代物だ。後から知ったことだが、それは他人も同じらしく、
性犯罪者の多くが自分の性欲を除去できればそうしたいと望んでいると言う調査結果があると言う。
実際に除去する方法もあるのだけれど、生殖能力も損なうので倫理的観点から彼らにそれを与えることはできないと。
けれども困るのは社会の中での話で、生物としては子孫を残すのが目標だから、むしろ一番重要なはずなのではないか?
だから生物としての人間の自然な姿としては当然のことで、邪魔でも付き合っていくより仕方ないのだ。
そんな具合に考えて、当時は別に矛盾を感じなかった。因みに当時私は知らなかったのだが、最新の数理生態学に依れば、
条件次第で必ずしも恋愛は子孫を残すのに不利ではない可能性がある。
身に迫る恐怖の時に
北海道大学に合格した時に脅かされた。「ヒグマがいるから気をつけろ」 と。
札幌の町の真ん中にはさすがにヒグマは出てこないけれど、郊外に行けば出没したとか、被害を受けたとの情報もある。
ヒグマに出会ったらどうすべきか? 少しでも自分の身体を大きく見せるために服の裾を持って広げ、相手から目をそらさない。
そこからは我慢比べだ。怯んではいけない。ヒグマが立ち去るまで続けなければならない。
けれどもヒグマの側に立ち去ることができない事情がある場合には面倒。そういう時はゆっくり道を空けてやる必要がある。
子熊がいれば一層危険だが、とにかく互角の相手だと思わせ続けることが肝心とのことだった。
それを聞いて想像してみた。ヒグマと互角に対峙するのはなかなか怖い。けれども自然とそのように行動できそうに感じた。
もちろん知識は必要だが、知っておきさえすればさほど難しくない対処法のように思えた。
高校生の時も夏休みなどには昆虫を探しに出かけて、山の中で夕暮れ時を迎えてしまうことは珍しくなかった。
そんなときに何か物音がしたらどうするのかと言えば、物音のする方向をじっと見つめるのだった。
つまりヒグマ対策も、日頃からやっていることをそのままやれば良い、と言う意味になる。何も難しくはないのではないか?
確かに本州にはヒグマはいない。ツキノワグマも私の普段の行動範囲にはいない。
けれどもイノシシに突撃されれば最悪命を落としかねないし、マムシなど人間より小さな動物にも殺傷力を持つ生物がいる。
怪我を負うだけならもっと簡単だ。そう考えると決して安全というわけではなかった。
特に針葉樹の植林地で日没を迎えると、仮に月明かりがあっても、更に暗さに目が慣れてきても、足下が見えなくなる。
仕方なく道路まで戻る際に何か動物の気配を感じることはたまにあった。そういう時は逃げるのではなく、目をこらして見る。
それをヒグマに対してもやる。ついでに服も広げて。それだけのことだ。
ところがこの普段の行動は、大学1年目の夏までしか続かなかった。これまでと違って物音がすると恐怖に逃げ出したくなる。
物音がヒグマである必要もなかった。そもそも対象が何であるか確かめる前に逃げ出したくなるのだから。
そのような行動の変化は、当時私が毎年飼育していたキリギリスの晩年にも見られた。
大学院生の時には彼らを飼育した経験から、苦しいことに祖父の命がもはや尽きたことを家族の中で最初に悟ってしまった。
そしてその夜には祖父は亡くなった。その日私は信州に行くことになっていて、自分の悟った結末を拒否する意味で出かけた。
家族は私が発った後に、医者がうっかり言った言葉で初めて「あれ、助からないのかな」と思ったそうだ。
到着して数時間後には私は呼び戻されて、深夜の列車で帰宅したのは言うまでもない。所詮無駄な抵抗だったわけだ。
キリギリスは雑食性である。植物の葉なども食べるが、自分より小さな昆虫なども捕まえて食べる。
肉食の機会は限られるので、見つけたら咄嗟の判断で飛びかかり、素早く牙を突き刺して抵抗しないまでのダメージを与える。
例えばオンブバッタは格好の餌食だ。
しかし飼育していて、秋にオンブバッタを見つけたとしても与えてはいけない。それまで通りに与えると、惨憺たる事態を招く。
その時期はちょうど野生のキリギリスが姿を消す時期、関東の平野部では9月上旬、札幌ではもっと遅い。
間違って秋になってからオンブバッタなどを与えてしまうと、彼らは飛びかからないだけでなく、怯えて逃げようとする。
敵から逃げる場合にしても、夏であれば節度があるのだが、秋の寿命を過ぎた個体は尋常でない激しい逃げ方をするため、
あっという間に後脚の膝関節が脱臼し、強い筋力で脛節が腿節にめり込んでしまい、膝の部分の表皮が破れて出血し始める。
昆虫でも出血するとかさぶたができはするのだが、治癒する訳ではない。
まして寿命を過ぎた老体である。出血した後脚を根本から切り落とすこともできずに、そのまま命を落すことが多い。
飼育条件下で観察していて、野生での彼らの寿命が9月に訪れる理由を説明できそうなのは、こうした行動の変化だけだった。
逆に言うと、9月になったら生き餌を与えない、この注意点を守っておけばもっと長生きさせることも可能である。
正確には、野生と違って飼育下では死ぬ時期がはっきりと決まらない。8月から12月にかけて徐々に死んで、数が減っていく。
年を越して1月まで生きることは稀だが、時には年越しする者まで出てくる。
このような観察から私は、彼らの野生での寿命を決めているのは、身体の老化でなく、行動の変化ではないかと推測していた。
身体の老化だけならもっとゆっくり寿命が訪れるのに、他の昆虫への正しい行動が取れなくなって皆が9月に命を落とす。
自然界でも行動が変化するかどうか、厳密には調べる必要があるのだが、それが難しい中では最も有力な仮説だと考えた。
この行動を「パニック自殺」とでも言おうか。野生では「パニック自殺」で寿命が決まってしまうのだ。
この「パニック自殺」による野生寿命、自分の内面に生じた変化、それに授業で聞いた原人の寿命、3つが頭の中でリンクした。
人間は周りの人に守られて生きている。その状況は飼育環境でのキリギリスと同じようなものではないか。
もし無人島に1人でいたなら、もしかしたら生存できるのは二十歳以下の未成年者で、大人では気が狂って死んでしまうとか?
人間が進化の過程で社会性を身につけ発達させる前の“祖先の寿命”が、まだ身体の中に組み込まれて残っているとするなら、
原人の寿命である「二十歳足らず」というのは有力だと思った。
大学は自由だから?
ところでこの仮説の弱点も記すべきだろう。まずこのような行動の変化は、昆虫全般に普遍的に見られると言うわけではない。
ごく近縁の昆虫でも一気に同じ時期に姿を消したりはしない種類が少なくない。
次に、北京原人は現生人類の直接の祖先ではない。どこかもっと古い時代に共通の祖先から分かれたとされている。
その点は当時の人類学の授業でも話題に上った。「北京原人の子孫が東アジア人で、欧米人の祖先はネアンデルタール人?」
昔はそんな具合に誤解されることがあったと。従って共通の祖先の寿命が北京原人同様に二十歳程度であることが必要である。
それに北京原人が全く社会性を持たなかったかというとそうではない。現生人類に比べてと言うことだ。
最後に、友人達に聞いても私と同じような経験をしたと言う人がほとんどいない。この点についてはもう少し検討が必要である。
「二十歳以前は動物と渡り合えた」と言うのが成り立たない人が多い。また一方、私もその後自分に働きかけて元に戻した。
つまり努力すれば再び正しい行動が取れるようになり、常に「野生寿命」が発現するわけではないことを意味する。
仮に「人間の野生寿命=二十歳」の仮説が正しかったとしても、それを実生活の中で覆い隠すための様々な方途があっても良い。
そうだとするならこの仮説はそんなに簡単には検証できないことになる。
あの出来事は一体何だったのだろうか? 今では変化した後の自分が当たり前で、昔の自分は頭の中の記憶だけになっている。
もう実感としては思い出せないが、当時は自分の内側で「野生が死んでいく」不気味な感覚が確かにあったのを覚えている。
年齢的な観点からは「大人になるということなんだ」とか言えば、尤もらしく聞こえるけれども、
結局それは、分からないことにそれらしい言葉を被せて見えないように隠した、そんな誤魔化しにしかなっていないと感じる。
ひょっとして関係しているかも知れないと思うことのひとつに、大学と高校までの友人関係の違いがある。
大学は自由だった。高校までは友達同士で互いに縛り合って不自由していたことに、逆に大学で自由になることで気がついた。
それを感じない人も多いようだが、少なくとも私には高校までの友人関係は息苦しくて二度と戻りたくない。
大学に来て多くの学生が口にするのは、「このクラスには変わった人が多い」と言う感想である。
実は別の学部に行ってもどこに行っても同じ。高校まで押さえつけられていたのが大学で初めて素の自分を出し始めるから、
あたかも変わり者が集まっているように見える。それが私の観察なのだが、その時期私の中で起きた激変と関係するだろうか?
だがしかし、最終的に安心できる居場所ができたのは大学3年生の時だった。時期が合わない気もする。
あの時いったいどういうことが起きていたのだろうか? 結局分からないまま、新しい自分を生きている。

(写真について) 花桃の写真である。桃というと果実の方を先に思い浮かべる人が多いかも知れないが、花もなかなか綺麗だ。
気づいておいでだろうか? 桃の果実は梅の果実と良く似た構造をしている。同じバラ科の中でもかなり近い間柄だ。
花の構造も似ているのだけれども、その花を愛でる際の日本人の受け止め方は全く違う。
凛とした気品が魅力の梅の花に対して、桃の花には華やかさがある。だから花桃の品種は写真のような八重咲きばかりである。
桃の木は寿命が短い。勢いよく育つが衰えるのも早く、人間より先に老いてしまう。樹木としては短命だ。


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