「国のために命を落とした」 
  - どっちの意味なんだ? -   2014.1.29  
  

靖国参拝に関わって近頃頻繁に聞く表現なのだけど、その意味を考えると何と言って良いやら、絶句してしまう。
表面的には「戦争で命を落とした方々のおかげで日本が助かった」という意味なんだけど、
そう言う意味だすると事実と合わなくなってしまう。
あの時の戦争は日本から仕掛けたのであって、「他国に攻め込まれて国を守るために戦った」とか言う話ではない。
それでは戦死者は日本にどういう貢献をしたのだろうか?
日本はあの戦争によって国土も減ったし、それ以上に国際的信用を失った。逆に得たものは? … 思いつかない。
早めに降伏して戦わない方が、つまり生き残った方が、国の損害も小さく抑えられた筈で、それが事実なのだ。
それなら「戦死者のおかげで日本は酷い目にあった」と捉えれば良いのか?
それも違う。彼らが戦争を始めたわけではなく、その決定権は当時の政治家達にあり、その決定に従っただけだ。
むしろ戦争を望まない人達までも、国の決定に従って戦争に従事させられたのではなかったか?
戦争に赴かないことは、それが良心によるものであっても当時の状況としては許されることではなかったようだ。
戦争に赴いたのはの国の命令だった。
そうだ! 確かに彼らは「国のために命を落とした」のだ。
国の愚かな決定のために彼らは命を落とす結果になったのだ。「国のために」は「国のせいで」と言い換えても良い。
「英霊」という言葉も使われるが、その言葉にそぐわない内実、「国家の犠牲者の魂」ということになる。
ひょっとして戦前の日本の政治体制が駄目だから、それを今の民主国家に変えるために彼らの死が必要だった?
そうとも言えるけど、結局同じことだよね。国が駄目で犠牲として人柱が必要だった、と言う意味だから。
そう考えた上で「国のために命を落とした」という言葉を反芻すると、「ために」が「せいで」の意味に聞こえてくる。
これで言葉と事実の間の齟齬が解消した。
けれども、なんともやりきれない気持ちが残る。「国のせいで無駄死にした」方々だという意味なのだから。
事実に合わせてこの言葉を解釈すれば、「国のせいで無駄死にした」の意味に受け取る以外に余地がないけれど、
本当にそう言う意味でテレビに映る政治家達は発言しているのだろうか?
そんな意味だとするならば、敢えて発言するのが良いことなのか疑問だ。仮に私達が反省を込めて過去の過ちを
噛みしめるためだとしても、もっと別の言い方があるだろう。
アメリカを初め海外から批判を受けてのことではあるが、近頃では参拝の趣旨は「不戦の誓い」だと説明している。
そうだとするなら、やはり「国のせいで無駄死にした」と言う意味で理解した方が合っている。
無駄も無駄で、むしろマイナスな死、これほど悲しく取り返しの付かない結果を見れば、
確かに「不戦の誓い」を強くするのは当然だ。そして「国のせいで無駄死にした」と言う現実とも符合する。
逆に「国のために命を落とした」が「国に良い結果をもたらした」と言う意味なら、「不戦の誓い」には繋がらない。
だから黙祷するのだ。「不名誉な無駄死にをさせて申し訳ない。これからは決して同じ過ちを犯しません。」と。
それなら確かに「不戦の誓い」だ。
深く考えなければそう言う意味には聞こえないけれど、政治家達の言葉を丹念に繋ぎ合わせていくとそこに収束する。
「国のために命を落とした」 この言葉が持つもうひとつの意味 …「国のせいで無駄死にした」。
この言葉が別の意味にも取れることを、そして別の意味でないと事実に合致しないことを、もしや知っていたのか?
知っていて「ために」と言う言葉を選んで発していたのなら、それはそれで凄い計画性だが、背筋が凍る思いがする。
多分本人もそこまで深くは考えていなかっただろう。多分、事実との齟齬にすら気づかずに言った言葉に違いない。
ひょっとして日露戦争の戦死者しか念頭になかった? なんて寝ぼけたことはあり得ないから忘れよう。
そして行動した後に批判されて、批判をかわすような理由を付けて見たら、言葉のもうひとつの意味が立ち現れた。
けれども余りに深すぎる言葉の意味と、その意味することの重さに私は考え込んでしまった。
「尊い命」を捧げてしまった
無駄死にと言うと、「尊い命を捧げられた方々に向かって、無駄死にとは何事か」との非難が聞こえてきそうだ。
もちろん死者に向かって言っているのではなく、今を生きる私達に向かって述べている。
あんたに向かって言っているんだから、逃げずに事実と向き合え! ってことだ。
それを分かっての論点すり替えなのだから、こう言う非難は相手にする必要のない種類のものなのかも知れない。
ひとまず単純に答えれば、「尊い命を捧げて貰って得た果実は、日本にとっての“不名誉”と言うマイナスだった。
認めたくなくてもそれが事実でしょう」と答えることになる。
ところが「尊い命」の観点を引き入れたことが、もっと恐ろしい現実を私達日本人に突きつけることに繋がっていく。
戦争で命を落としたのは日本兵だけではない。周辺諸国の多くの兵士と民間人も亡くなっている。
その方々もまた、「日本国のせいで亡くなった」方々だ。道義的にはむしろそちらを先にを思い起こさねばならない。
恐ろしいことに日本兵は、その「尊い命」を奪った直接の張本人でもあるのだ。
周辺国の人々にしてみれば、攻め込んできて反撃されて死んだ輩の“死”など、無駄死にでも勿体ないと思うだろう。
「当然地獄に落ちた筈だ」と考えているかも知れない。
他人の「尊い命」を奪うことに自分の「尊い命」を捧げてしまった人々、それが「英霊」の本当の姿、現実なのである。
他人の「尊い命」を奪うことに自分の「尊い命」を捧げてしまうことは、今の世界にもありふれている。
自爆テロに共感を覚える人は稀だと思うが、戦時中を生きた年代の方が「あっぱれ」と言うのを聞いて気がついた。
彼はイスラム教徒でも何でもない、普通の日本人だ。それにも関わらず自爆テロに共感したのは何故か?
敵の艦船に航空機で体当たりする「神風特攻隊」、同じく水中から体当たりする人間魚雷「回天」。
まさに自爆テロだ。信ずる目的のために自ら命を投げ出して敵の命を奪い、敵に大打撃を与えようとする。
その精神が共通しているからこそ、彼は「あっぱれ」と自爆テロに共感したのである。
そうなのだ。当時の日本では「お国のために命を捧げる勇気ある行動」として、称揚されて崇められていたのである。
けれど世界は、今の我々が自爆テロを見る目で、当時の日本兵を見ていたわけだ。
「神風特攻隊」や「回天」は民間人を標的にしなかった。それが救いではあるが、靖国問題は別のフェーズにある。
と言うのも、民間人ではなく兵士の死者が対象になっているからだ。
では「戦時下である」ことの条件の違いから正当化できないだろうか? ある程度まではそうかも知れない。
だが「特攻隊」ではない日本兵が、残念ながら現地の民間人も殺している。そのことで帳消しになりはしないか?
また「戦時下であるか否か」を決めるのは誰なのか? 日本軍は宣戦布告せずに奇襲攻撃で太平洋戦争に突入した。
自分からは「戦時下」と言えない立場かも知れない。
そして何より、「神風特攻隊」や「回天」は日本自身のことだから、我々日本人にとって公平に見るのが難しい。
その点ではむしろ昨今の自爆テロの方が、自分たちが関わっていないだけ冷静に見られる。
私達は、テロリストの死とその犠牲者の死について、どちらに目を向けて、どちらの遺族の気持ちに同情するのか?
答えは自ずと知れたものだろう。犠牲者の死こそが同情に値する。
我々が冥福を祈る対象は、テロリストではなく、テロの犠牲者であるのが普通の感覚だ。テロリストは非難の対象だ。
普通の感覚で公平に見たら、日本兵の死はただの無駄死にどころか、不名誉な無駄死にとなってしまうのである。
自爆テロリストと比肩されるような死。
情け容赦ない現実の厳しさ、過酷さ、それを前にすると、もはや精神が持ちこたえられなくなりそうな状態に陥る。
命を捧げた方々は最悪の「自爆テロリスト」と同列に烙印される。何と、それが公平に見た時の結論なのだ。
悲しむ遺族の気持ちを思えば、この残酷な真実から、目を背けたくなるのが普通の感情だ。
人間は弱いものだから事実を受け入れられないことがある。大切な人の死が客観的に見て無駄死にだとしても、
大切な人の死は、無駄死にではなく“意味ある死”であって欲しい。
そこで思い出すのは、
「死には元々何の価値もない」
と言う稲葉の哲学(拙著を参照)だ。そう捉えることは「現実の死には価値がない」という厳しさを我々に突きつける。
それと同時に、死に向かう心を引き留める力にもなる。
死ぬことで何かを成し遂げようと考え、死ぬことに価値を見出す状態を、稲葉は「死に魅入られた」状態だと言う。
あの戦争で日本人は集団で死に魅入られてしまっていたけれど、必要なのは、
「死に魅入られないこと」
なのである。
思い切った提案
他人の「尊い命」を奪うことに自分の「尊い命」を捧げた人に対して、周辺国の人々がどのような視線を送るのか、
その気持ちに添って行動したならば、弔いが全く許されないことになりはしないだろうか?
遺族が個人として弔うことは、どうにか許して貰えると期待したい。だが国家を代表する総理大臣が弔うのはどうか?
日本兵の遺族が許されるかも知れないと思うのは、対岸の遺族も日本の遺族の悲しみには共感できるだろうから。
国家には感情がないのだから、当然この共感は生まれない。
けれども日本国には逆に弔いの義務があるかも知れない。まさに「国のせいで無駄死にした」方々なのだから。
日本兵の遺族が国家の弔いを望むのもある意味当然で、実際「国のせいで無駄死にした」のなら権利とも言える。
そこで、やっぱり参拝は正当化できるんだ、などと喜んではいけない。
参拝を非難する周辺国の遺族達も、やはり日本国によって死に追いやられた人の遺族で、同じ権利を有するのだ。
しかも日本兵より優先的な権利を持つ。
そこでこれは私からの提案なのだが、「優先順位を決めて両方とも日本国として弔う」というのは如何だろうか?
亡くなった日本兵を弔う以上に、もっと多くの弔いを周辺諸国の犠牲者に捧げるのである。
例えば、まず終戦記念日には周辺国で亡くなった方々を弔い、その翌日に日本兵の戦死者を弔うのはどうだろう?
それなら対岸の遺族達も納得してくれないだろうか?
いや、簡単にそれだけで納得されるとは思わない方が良い。まずは自分たち日本人の気持ちを内省してみよう。
周辺国の死者を弔うことに私達はやはり抵抗感を持つのではないだろうか?
その死者の中には日本兵を殺した人達も含まれる。憎き敵兵の死者を弔うことが出来るのか?
簡単ではないと思う。まして戦地で亡くなった日本兵の遺族にとっては、ひときわ難しいことに違いない。
けれども実はその感情こそが、靖国参拝に寄せられる周辺国からの抗議の心なのだ。逆の立場で考えよう。
我々日本人が感じる抵抗感と同じものが、鏡のようにして相手にも成り立つ。
周辺国の遺族にとって、大切な人を殺した日本兵がその後死んだからと言って、その日本兵を弔うのは大変難しい。
それは日本兵の遺族が、周辺国の兵士を弔うことに抵抗を感じるのと同じ感情なのである。
更に加えて、彼らには「戦争を引き起こしたのが日本からだった」と言う、“感情を抑えないこと”への免罪符もある。
だから簡単には日本兵への弔いを許してはくれないだろう。
それでもなお、「日本がかつて殺した相手を弔う」ことで「日本人の真実の反省」を伝える力にはならないだろうか?
つまり彼らの犠牲者への弔いを、“日本が行う”と言うところに意味がある。
それは上に述べたように、日本人の感情として難しいことだから。
そしてその難しさは、日本兵を許せないと思う感情に苦しむ周辺国の遺族が、一番良く理解していることだから。
だからこそ、そうすることで「過去への反省」と「不戦の誓い」が、疑念の余地無く表現されると考えるからである。
「不戦の誓い」の具体的表現方法として、完璧なように思われる。
成否は「共感する力」にかかっている。彼らには日本人の抱く抵抗感をどこまで想像できて、理解できるのか?
それはそのまま、この問題に対する我々の感じ方に投影できるはずだ。
この文章を読む人はほとんどが日本人だと思うが、対岸の遺族が反発する心をどこまで理解できるだろうか?
日本国として日本の戦死者を弔うことに、周辺国の人々が反発を感じる気持ちを想像してほしい。
想像して貰うように書いてきたつもりだが、それで彼らの気持ちが想像できた人が多ければ期待が持てる。
なぜならこれらは同じ性質の“共感力”なのだから。その時「相手を弔うことへの我々にとっての切実な難しさ」も、
対岸の遺族に語りかけることで伝わるはずだ、と考える根拠になるだろう。
逆に想像できない人が多いのだとすると、このような提案をしたことに対する批判を私は受けることになる筈だ。
論理的に正しい分析に基づいて提案しているつもりだが、感情的にはどうなのか、正直よく分からない。
「ついて行けない」人もいるだろうし、初めから感情を優先して考える習慣の人は、どのように受け取るのだろうか?
そういう訳でこれは勇気のいる提案でもあるのだが、思い切って提案したい。
「我が国の戦死者への弔いに先立って、周辺国の犠牲者を弔う」
ことを。
(註) 下記の問題の二つ目、つまり無宗教施設への移管が実現しないと、国が弔うことは政教分離に反してしまう。
それがセットになっているのがまた頭痛い。
二つの問題
上記提案にもまだまだ問題がある。靖国神社には問題が多すぎて、向き合い続けることに心が折れそうになる。
ひとつ目は、靖国神社には「国のせいで無駄死にした」と言えないような人も祀られている、と言う問題。
いわゆる「A級戦犯」だ。当時の政治家や軍幹部で東京裁判で有罪になった人達だ。
個々人を見れば消極的な戦犯も含まれるけれど、大雑把には戦争に進むことを決定した張本人達がA級戦犯だ。
国民を戦争に駆り立てた張本人を、その結果戦死させられた国民と同列に扱うことはできない。
そう言う問題意識で、それが言われ続けていると言う事は、「国のせいで無駄死にした」と言う見方が背後にある。
「国のせいで無駄死にした」と見ることは、何ら新しいことではないのだ。ただそれは明言し難い、厳しすぎる現実。
だから言わない習慣だったが、それを言った。しかも「ために」の二重の意味に隠れながら。
参拝が「不戦の誓い」であるためには、戦争を始めた張本人が祀られているのは、論理矛盾していて甚だ具合悪い。
そのため靖国参拝への周辺国からの反発にも、A級戦犯合祀の影響が少なくない。
確かにA級戦犯と戦死者とでは全く違う。「一方が加害者でもう一方が被害者」と言う捉え方が成り立つほどに違う。
その違いを周辺国も理解してくれると言う事でもある。
けれども全てそれで片付けるのも間違っている。更に追い打ちを掛けるような事実も指摘しておかねばならない。
当時の為政者を選挙によって選んだのは当時の国民だ。
そして以前も述べたように当時の日本人は為政者の政策、国際連盟脱退などの“孤立路線”を積極的に支持した。
従って周辺国に戦争を仕掛けた意志決定の責任は、国民全体が負わなければならない筈のものだ。
戦地で亡くなった日本兵について、「心ならずも戦地に赴いた」ように書いたが、実際のところそうとも言い切れない。
それでもA級戦犯とただの日本兵の責任は違うだろう。
昭和天皇が「A級戦犯までも祀られたから気持ちとして靖国神社には行けなくなった」と言っていたと伝えられる。
これには議論のあるところだが、確かにA級戦犯合祀が行われてからは昭和天皇は靖国神社を参拝しなくなった。
この場合A級戦犯と言う括りは不十分で、その中で開戦や戦争継続の判断の時に誰がどういう役回りを演じたか、
天皇はつぶさに見ていて、一部の人間の責任が特別に重いことを知っていた。
そこで特定の人物を「分けてくれないと手を合わせられない」と言うのも理解できる気がする。
A級戦犯分祀の問題は昔から議論されてきているが、初めて私がその問題を耳にした当時から全く進展していない。
もう少し努力できないのだろうか?
次に、故人(あるいは遺族)の意志も時々問題になる。靖国神社に祀られた人達は、望んでそこに祀られたのか?
もちろんそうではない。そもそも普通の日本人は神社でなくお寺に墓があって、死んだら仏になる習慣を持っている。
戦時中の状況としては確かに国家神道の時代で、全ての国民は神道を信じるように強制された。
あるいはあらゆる宗教を統合するものとして国家神道が位置づけられること、それが強制されたと言うのが正確か?
だからそれに従う限り、戦死者は全て国家神道の信者だと言えなくもない。
けれどもそのこと自体が、国家から強制された信仰だったのだから、自由意志で信じたとは言い難い状況がある。
本当に自由意志で決めたときに、何割の人が靖国神社を選ぶのか、非常に心許ない。
戦死者を弔うのは無宗教の施設が望ましい、と言う意見もある。それに対する政府の見解は「政治介入できない」だ。
一つの側面から見たら至極真っ当な見解だが、元々が個人の自由意志と無関係に国家が祀ってしまったのだから、
その時点で政治が介入してしまったのである。
そこで「過去に犯した介入の過ちを正すのも国家でなければならない」との論理も成り立つだろう。
政府見解はダブルスタンダードになってしまっているように感じるのだが、これは何か私に見落としがあるのだろうか?
少し不安を感じつつ日頃の疑問をここに吐き出してみた。
国民と国家の関係 そもそも「国家のために国民が命を投げ出す」ことには、深刻な矛盾が潜んでいる。
国の存在価値は国民の存在にある。国民のいない国家には意味がないが、逆に国家を持たない人がいても良い。
戦前の日本は天皇の存在に価値の源を置いていたから、「国のために国民が命を投げ出す」ことも可能ではあった。
だが今の日本の価値観の中で、自衛官のような職業を持つ国民をどのように位置づけたら良いのか?
国家に先だって国民に存在価値がある。国家の存在理由は国民に支えられなければならない。
国民の一人たる自衛官が国家のために命を投げ出した瞬間に、国家の存在意義が崩壊してしまわないだろうか?
この問題は充分に高度な思想上の難問で、以前サンデル教授も扱っていた。
彼の話では兵士の存在を正当化する論理も構成できる、と言うことだった。国民の多数が兵士でない条件の下で。
また、通常の哲学的論理構成の場合と同じで、「特定の哲学的立場を取れば正当化できる」という意味であって、
何か客観的真理とかいう類のものではない。

終わりに。大変重い話題で人の心の微妙な部分にも触れる。何度読み直しても修正点が出てきてくたびれ果てた。
と言う事はおそらく、読む人にとっても苦労するはずなのだ。だからこれを読んで「分からない」と感じている人も、
抽象的で難しい点を割り引いて良いはずだ。

(写真について) 柏の紅葉。柏餅のカシワだ。庭に育てている木の紅葉が綺麗だったので、数年前に撮影したもの。
柏は概して黒ずんだ紅葉になりがちな植物だが、この年は割と綺麗に紅葉したのだった。中でも綺麗な部分だ。
今回の話題のせいか、紅葉の赤い色が血の色のように見えてしまう。これは私だけの症状だろうか?
この後、枯れ葉になっても枝にしがみついて落ちない。柏に限らずブナ科植物の葉は春まで枝先に残る傾向がある。
写真には既に色が落ちて乾燥した葉も写っている。


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