学生からの贈り物 
 - 環境・技術分野の同窓会   2019.5.10  
   

今年の春で文化教育学部最後の学年が卒業した。そして新しい学部の最初の学生が、この4月から4年生になった。
分かりにくいかも知れないが、文化教育学部が終わったのではない。留年している学生が残っている限り続くのだ。
だから私もまだ2つの学部に所属していることになる。
けれども「環境・技術分野は?」と言うと、少し話が変わってくる。現在まだ留年して残っている文化教育学部の学生は、
何十人もいるけれど、彼らはみんな環境・技術分野以外の学生である。
このタイミングに卒業生が「環境・技術分野の同窓会を開こうとしている」という知らせが、今年の1月に入ってきた。
彼らの気持ちを考えればこの際、“万障繰り合わせて参加”しないといけない。予定は2月。
これを企画した卒業生達は、「自分たちの卒業した環境・技術分野がなくなる」ことを、寂しく思っているに違いない。
大学に環境・技術分野がなくなっても、自分たち卒業生の結束は続くんだ
そんな気持ちの表現を感じた。これまで同窓会は開かれたことがないにも関わらず、このタイミングで開きたいと言う。
寂しい出来事に立ち向かう卒業生の姿勢を感じた。
だから「卒業生が主役。彼らのために教員が参加する」つもりで会場に行った。ところが彼らの気持ちは少し違った。
「教員への感謝」と言って花束を贈ってくれた。それを研究室で花瓶に生けたのが上の写真だ。
「テーマカラーはオレンジ! 」ってな調子だが、花の選択の詳細は花屋に任せたそうだ。
その時に店にある花を組み合わせて、予算に合わせながら豪華になるような選び方をしているに違いない。
写真の右は暫く経ってバラが枯れた後の写真、少し意外だったのはカーネーションより先にガーベラが枯れたこと。
この時点で半分以上のガーベラが枯れている。それでも貧相に見えないのは、最初如何に密集していたか物語る。
茎が短くて花瓶に生けるのが難しかった。花瓶の高さに比べて花の背丈が出ないで、低い場所に集まってしまう。
そう話すと学生が「花束なので仕方がないですね。」と言う。つまりこう言う意味だ。
花束にするときは花を密集させるため、茎は短く切りそろえる。しかし花瓶に生ける時には、花の間に空間を入れる。
そこで茎の長さに変化が欲しい。花への要求が最初から相容れない、と言う訳だ。
この花瓶は私の実家にあったものだ。実家を片付けるときに佐賀の自宅に送るようにした。その花瓶の出番が来た。
両親が施設に入って空き家になっても、なかなか実家の片付けに手を付けられず、花瓶も長く死蔵していた。
本人が「自分で片付ける」と言うからそのままにしておいたのだが、実際には不可能なのが分かっていた。
もはや両親にその力がないことは明白だったが、それを本人に言えば傷つくだろうから、黙って飲み込んで待った。
その結果、実家の片付けは遅れて、今では床が凹んだり、あちこちに不具合を生じているが、別に後悔はしていない。
ここは両親の家なのだから。
当日は土曜日で自宅から出た。会場は佐賀でも繁華な辺りだから駐車場に困ることも考えて、まず大学まで行って、
そこから先は自転車にした。ところが久々の自転車は、タイヤの空気が抜けていて、非常に漕ぎづらい。
タイヤの空気が抜けたまま走るとタイヤチューブを痛めるから良くないが、段差さえ気をつければ、
ぎりぎりリムが直接アスファルトに当たることはない程度の状態だったので、時間節約のためそのまま走り出した。
ところが向かい風も手伝って異様に時間が掛かって、開始時刻に大幅に遅刻してしまった。
急げば20分掛からない程度で到着するはずが、倍くらいの時間が掛かった。これはさすがにおかしい。
去年の秋は研究室の引っ越しやらで、通勤に自転車を使う余裕はなく、自転車を漕がなかったので心配になった。
まさか「身体がなまって自転車もこげなくなってしまったのか?」 当日学生にはそう話したが、どうやら違ったらしい。
戻ってから空気を入れてみたら、嘘のようにすいすいと走った。
会場に入って見ると、想像以上に大勢の卒業生が集まっていた。何しろ初めて開催する同窓会で、名簿も何もない。
ある程度以上離れた学年の卒業生間では、情報の伝達が難しくて同窓会開催を伝えられないだろうと思っていた。
確かに割と早い段階から我々教員側が、学生間の縦の関係を作るように促してきたのは事実である。
先輩後輩の繋がりができることは、教員の立場から見ると必ずしも良い影響ばかりではない。
例えば「単位取得の裏道を教える」とか「(面白いでなく)楽な授業を教える」とか、好ましくはない知識も伝承される。
一方、「困っている学生を支える」能力では、教員よりも先輩学生の方が上回るケースが非常に多い。
教員には教員の立ち位置があり、それによってできる事が制約される。もちろん先輩学生にも固有の制約がある。
その制約の中でそれぞれが可能な役割を演じることで、協力してその学生を支えようとするわけだが、
学生間の縦の繋がりがなければ先輩は動けない。教員だけが動いて空回りすることになってしまうのだ。
このように功罪両面なのだが、当時の若手教員間で「メリットが上回る」と判断して、意識的にけしかけることにした。
さすがに新歓コンパは元々からあったが、それに加えて、
・毎年オリエンテーションで先輩が新入生に、自分個人の時間割を作る手助けをする。
・新入生合宿研修(研修所に一泊する)に参加する先輩学生を募る。
結局これらを導入したのは私だった。と言うのも「縦の繋がりの必要」を話し合ったときの学年チューターだったから。
有難いことに環境基礎講座の年配の先生方は、若手の教員が自由に進めることを応援してくれるような方々だった。
そうやって環境・技術分野は「割と縦の繋がりの強い分野」になった。
更に幸運だったのは、当時は環境・技術分野の学生が使用できる自習室があった。学生は「ボックス」と呼んでいた。
「ボックス」は伝統的に多くの大学にあったが、最近ではそれがなくなってきている。
文部科学省の公式見解としては「不適切な部屋の使用」に当たるため、ボックスは取り上げられてしまう。
その代わりと言うか、学生の自学自習室が別に設けられる、のであるが、実際には代用にならない。
集中的に設けられた自学自習室に全ての学生が集まるようになっている。佐賀大の場合、教養に設けられている。
同じく、図書館を利用する。あるいは偶々授業のあった建物のリフレッシュスペースを利用する。
随分と代用スペースがあるようだが、これらが先輩後輩の繋がりを作るために役立つことはない。分かるだろうか?
出会う人間が多すぎて顔なじみにならない。しかも自分とカリキュラムなどが違うから、アドバイスも役立たない。
そういう訳で、互いに相手に邪魔にならないように気遣いながら、充分な距離を保って各々の作業をすることになる。
こうして親しい学生間の会話も静かに遠慮がちになってしまい、深刻な相談など不可能だ。
そう言えば「学生間の支え合い」も佐賀大では制度化されているが、これまた笑いぐさにしかならないような代物だ。
「新入生(&学生)アドバーザー」として予め決められた学生が、決められた時間に決められた部屋に滞在して、
そこに相談に訪れた新入生(or学生)の相談に乗る、と言う仕掛けだ。アドバイザーにはバイト代も出る。
けれども初対面の相手に相談するのはハードルが高い。相談しても多くの場合、置かれた条件が自分と違う。
環境・技術分野のように縦の繋がりを作っていない所属の学生が、他に相談相手がなくて相談に来るかも知れない。
導入時に私は(仕方なく)そう思い直したが、実施してみたらほとんど相談に来なかった。
これを導入したお役人の面子もあるから「失敗でした」とは言えない。と言う事は大学としても言えないことになる。
「失敗」とか言えば、大学の失敗と見なされて予算削減とかの憂き目を見る。役人は安泰! 大学が責任を取るのだ。
そこで佐賀大はどうしたのかと言うと、サクラを送り込んだ。そうして人数を水増しして“成功”するようにした。
こうやって無理矢理“成功”の形を整えてしまうから、役人はどんなに馬鹿げた施策をしても安泰なのだ。
学生に聞くと、これが「機能していない」こと、そして「機能すると思う方がおかしい」ことを認めるが、
この制度そのものは継続して良いのではないかと言う。経済的に苦しんでいる学生の収入源になるからだ。
しかもほとんど仕事をしなくて良い。待っても相談者は時々来るだけだから、本を読んだり自分の仕事ができる訳だ。
学生にとって美味しいバイトだからあっても悪くない、と言うことだ。
当時このアドバイザー制度について、会議である同僚が呟いた言葉がなかなか秀逸。他の場面でも真似したくなる。
「本来これこそ事業仕分けの対象なんだが、(サクラを送り込む判断も)やむを得ない。」
さて上記の通り、環境・技術分野の学生は他の分野と比べたら、1-2学年差の学生の間での繋がりは強い方である。
けれども会場には、発案して幹事を務めた学生から見て、かなりの先輩から卒業間近の「最終学年」まで来ていた。
中には遠くから同窓会のためにきた卒業生も。やはり「カンギ(環境・技術分野)がなくなる」からか?
「どうやって集めたのか」聞いたが、リレーのようにして情報が広がって、直接知らない先輩まで届いたのだそうだ。
このような卒業生達の気持ちを知って、同窓会そのもの(団体)を作っても良いかも知れない、と感じた。
けれども、全ての卒業生を網羅して同窓会を組織することは難しいかも知れない。
昔は保護者の連絡先が一覧で配られていたが、個人情報保護法ができてからそう言うものは配られなくなった。
また伝統的に学生が作ってきた名簿も、法律から影響を受けた。まず学生自身の希望で連絡先を載せなくなって、
更に最近は名簿自体を作らなくなっている。
幹事に「古い名簿(主な欠落部分)を提供しても良い」と伝えたが、どうするか未定である。どのみち今すぐは難しい。
施設改修で多くの荷物を倉庫に預けてしまって、古い名簿も倉庫行きの荷物に入れてしまった可能性が高い。
実のところ今回の施設改修では、今の一時的居室に移動する時の荷物整理で、古い名簿の多くを捨ててしまった。
確か数年おきに残したような記憶があるが、注意深く選別したわけではない。
案の定、当日会った数人から「なぜ環境・技術分野はなくなるのか」尋ねられた。学部の中でどういう動きがあったか、
説明してあげたが、酒の席で話して正確に伝わるようなシンプルな話ではない。
改組後の「文化」のない「教育学部」は既に存続の危機にある。それが多くの同僚には予測できなかったらしい。
現実は「教員養成課程の維持にその外の3課程の存在が必要」なのに、逆と思い込んで“支え”を取り払った。
学生が慕っていた教員や、今日の同窓会に来ている教員にも、改組を推進した人がいるのだが、それは黙っていた。
近くで談笑している人が自分達の気持ちを裏切ったと知ったら、気分悪いだろうから。
請われれば写真に入るようにした。ある女子卒業生と二人で写ると言うときに、別の(やはり女子)卒業生が言った。
「先生は明日の朝、目を覚ましたら、昨日嫌なことがあったなあ、と思い出すだろう」と。
え、そう言う意味になるの? 確かに彼女に対して特別な感情はないけれど、肯定するのは申し訳ないし、
さりとて否定することもできない。困ってしまいながら普通に写真に収まったが、この言葉の威力は別の所にあった。
即ち「忘れてしまう筈の出来事」を覚えて、今こうして書いている訳だ。
お開きになってもまだ写真を撮ったりして、なかなか終わりにならなかった。この後、皆さんは2次会に行くと言うが、
いつものように私は遠慮しておくことにした。今回はやはり特別なのか、多く(全員だった?)が2次会に行くようだった。
こういうときには「酒も歌も芸事も超苦手」なのが残念である。


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