STAP検証の中間報告が出たけど、 
   - 世間の論調を気にしすぎたのでは? -   2014.8.29  
   

先週後半は北海道に出かけていた。この機会に卒業以来の北大同級生とも会って、大変充実した日々を過ごしたが、
その間に会った研究者との会話でも、少しだけSTAP騒動の話題が出た。
彼の嘆きである。「この騒ぎで、Nature本来の“すごさ”を知らない一般人が、悪い意味でNatureを覚えてしまった。」
次から記すが、一般人が抱く研究界への期待は現実と噛み合っていない。
この冬に最初にSTAP細胞が報道された時は、テレビの報道ぶりに私は違和感を覚えた。淡々としたアナウンサーに。
とんでもない大発見なのに、「今日の動きとしては、こんなこともありましたよ。」という調子の“追加情報扱い”だった。
けれども次に報道された時にはちゃんと“大発見扱い”になっていた。
その後の“理系女ブーム”、そうだ我が環境基礎講座の理系女、高島先生にはこの機会に大いに飛躍して貰わねば。
実際には飛躍は簡単でないのだけど、日本全体にもプラスだし、悪くない気分だった。
理研の自己矛盾 … 順序が逆
ご承知の通り、間もなく論文に問題が次々と見つかり、その中でも画像が学位論文と同じだったのが転換点になった。
本人の申しひらきは「ファイル名を同じにしていて取り違えた」と。
「信じられるか! そんな大事な画像を取り違えるはずがないではないか。」との批判、私もそう感じるのは確かだが。
どうも冷静に様子を観察していると、本当に彼女は取り違えたのだと解釈した方がつじつまが合うと思うようになった。
少なくとも彼女の発言にはブレがない。
ところが一方、責任追及する立場の理研には、対応に首尾一貫しない部分がある。その点が当初から気になっていた。
それを記そう。そもそも正直に言えば、それしか現時点で明確に指摘できる事柄はないのだけど。
理研は調査委員会を立ち上げて、小保方氏の故意による捏造と判断した。そこで処分、の筈が今は保留になっている。
そうなってしまっているのは、理研の対応の稚拙さに根本原因がある。
当初「“悪意”か“故意”か」みたいな議論が起きた。どちらでも次からの話には影響しない点を最初に断っておこう。
悪意だか故意だかによって画像を差し替える動機について、明らかな矛盾があるのだが、何故か指摘する人が少ない。
真っ先に思いつくのは名利欲だろう。STAP現象が真実なら超一級の大発見なのだから。
けれども大発見であるが故に、当然世界中で検証実験が行われて、捏造はすぐさま発覚する運命にあって、
大発見であるが故に激しい非難に曝される。容易に想像がつく話で、現在の彼女の苦境は彼女の想定内のことになる。
それが想像できなかった、と言うのは信じがたいことだから、調査委員会には思いも寄らない動機の提示を期待した。
ところがありきたりの名利欲によって説明したに過ぎなかった。
これでは元と変わらない。画像の取り違えが信じがたいのと比べて少しはマシかどうか、どのみち信じがたいのは同じ。
けれども調査結果の最大の矛盾点はその先にある。
信じがたいと思うが、名利欲によって捏造したと信じるとしよう。それなら小保方氏はSTAP細胞の不在を知っている。
もし存在しているなら正直にその画像を出せば良いところ、あいにくそのような画像がないから別の画像を使った。
しかも信じがたいことに、すぐに露見するような学位論文に既出の画像を無防備に使った。
と言うストーリーになるが、このストーリーを成り立たせる前提に、STAP細胞の不在が必要なのが問題になってくる。
理研は調査委員会で結論を出すに当たって、STAP細胞不在を前提としたにも関わらず、今まだ検証実験を続けている。
そこのところに理研の首尾一貫しない部分がある。
順序が逆なのだ。もし調査委員会の結論に矛盾する可能性が残っているなら、それを先に調べなければならなかった。
そして「実際にSTAP細胞が存在しない」と言うことを、捏造する動機を説明する証拠として提示する必要があった。
理研は研究不正とSTAP細胞の存否は切り離して考える、と言っていたが論理的に無理がある。
そもそも、悪意だか故意だかによってSTAP論文が捏造されたと、理研が本当に信じているのかさえ疑わしいと思う。
世論に押されて「早く小保方氏に対する重い処分を公表しよう」と、充分に調べきらずに無理に結論を出していないか?
ところが本心では、STAP細胞が存在しないとの確信が持てないから、検証実験を行うし、特許も取り下げない。
世論とは無責任なもので「STAP細胞の存在も理研で責任を持って調べよ。」などと言っているから、また好都合である。
本来であればその方向で進むには研究不正の結論は棚上げにする必要があった。
けれどもマスコミを含めて世論は早めの処分を求めたから、主体性もなくそれに従って自己矛盾に陥ったのではないか?
世論が自己矛盾していたからと言って、何もそれに合わせることはなかった。
さて先日発表された検証チームの中間報告であるが、そこでまたマスコミから無理解な質問が繰り返された模様である。
まだ結論は得られていないと言うが、それが当たり前。結論を急かすマスコミや世間の追究の方が責めを負うべきだ。
「存在しないこと」を科学的に証明するのは非常に難しい。厳密には永久に証明できない筈なのだ。
それを一年でやろうと言う理化学研究所の方針にも、ある意味無理がある。
一年で終わる可能性があるとすれば、狭い意味のSTAP細胞、つまり小保方方式でできるSTAP細胞に限って調べるのだ。
それならまあ一年で大凡のところは完了できるかも知れない。
だがもっと一般的な意味でSTAP現象があるのかどうか、つまり細胞への刺激によって万能性が得られる可能性があるか、
それは理研という単独の研究機関で結論を出すような種類のものではない。
ここでもまた世間は「これだけ騒がせた責任上、理研には調べる義務がある」と言うかも知れないが、請け合ってはならない。
今後長期に亘って世界の研究者が研究を続けていくことであって、早急に結論を得るような類のものではない。
たったひとつの研究機関に過ぎない理研がたった一年ばかり調べた結果など、まともな研究者なら誰も信用しないだろう。
実情を知らずに騒ぐ人々を欺く目的、そんな検証作業に意味があるだろうか?
このことは理研の自己矛盾を決定づける最後の一撃になる。理研による検証実験の範囲が小保方方式に止まらないなら、
際どいところで理研は自己矛盾を逃れ得る道がある。
小保方方式でのSTAP現象はないが、それ以外についてはまだ調べる必要がある。だから研究不正の結論の後で調べる。
そのような立場を採れば検証作業の前に研究不正の結論が出される余地が生まれる。世間の理解もそんな辺りだろうか?
だが私の感想は“理研の思い上がり”、“理研への過大評価”、研究組織を真理の上位に置く馬鹿げた発想である。
調査委員会が出した結論の通り、故意に別の画像を使用したと信じる人もいる。そこで小保方氏の行動に驚いたと言う。
当然検証作業には加わりたがらないだろう、と思っていたのに、実際には加わりたがるではないか。
確かに本人がSTAP細胞の不在を知っていたなら、失敗を承知で検証実験に参加するのは苦痛が大きすぎるに違いない。
だがまあ、目くらましという動機も考えられなくはないから断定的には言えないと思うが。
今後も迷走しそうな予感
ではこの先、検証チームか、あるいは小保方氏本人がSTAP細胞を作成する見込みはどうだろうか? 期待値は低いと思う。
肝心の画像を取り違えて気づかなかったり、学位論文でも完成版と原稿段階のものを取り違えて提出してしまったと言う。
そう言う人が、気づかずにES細胞やTS細胞をSTAP細胞と取り違えたと言うなら納得できる。
そうして本人もSTAP細胞の存在を信じているのだが、残念ながら実際には細胞の取り違えだったと言う可能性だ。
厳密には、細部を突き詰めると科学的に説明しにくい部分があって、それを検討すべきだろうが、ここでは止めておこう。
本来なら細胞もそんなに簡単に取り違えないだろう。信じがたい取り違えをした人物だからこそ想定し得るのではないか?
だから見通しは良くないが、検証実験が続いているし、結論を急がず気長に待とうではないか。
ところで検証実験を終えた小保方氏の進む先について、懸念が出されていた。針のむしろで研究の世界に居られなくなる。
と言うのは半分正しいが、その先は少し違う。ほぼ間違いなく彼女を引き入れようとする海外の研究機関が現れる。
そこでまた「STAP技術の流出を防がなければならない」とか言っていた。結局マスコミは、STAP現象が真実なのか否か、
話の流れによってコロコロ立場を変えて、話題になる方を選んでいるようだ。
学生の頃、常温核融合の騒動があった。当時の先生の一人が言っていた。「一度見たと思ったら簡単には否定できない。」
再実験で常温核融合の証拠を見つけられなくても、何度もトライせざるを得なくなるのは、研究者の性として当然だと言う。
そうすると小保方氏は今後一年と言わず、もっと長期に亘ってSTAP細胞を追い続けることになる。
むしろ積極的にそれに従事することが、彼女に与えられた使命であって、もしかしたら一生STAP現象を追い続けるのか?
それが健全な研究者の進む道だし、それを支えるのが周囲の役割である。
万が一成功する可能性。それがゼロでない限りは人類にとって追究する価値があるのだから、誰かが従事するべきだろう。
それなら彼女が先陣を切って取り組むべきだろう。
だがここで少し問題がある。彼女の並外れた“取り違え癖”は、研究者に通常求められる能力に不足があることを意味する。
今後重要な研究成果を上げたとしても、他人による検証が行われるまでは誰も彼女の研究成果を信用しないだろう。
にも関わらず社会として研究を続けて貰わなければならない状況がある。万が一にも真実なら戦略的技術なのだから。
それならやはり普通に研究が進められるように、事後的な検証を行えば良いと言うことで、
違うのは「取り違えに対する検証」に重点が置かれるところだろう。可能なら共同研究者を配置して注意することで、
早い段階で間違いを正した方が良い。誰かに命令して、特定研究者との共同研究に従事させるのは無理ではあるが。
そのとき彼女の研究の場が理研以外である理由さえ見当たらない。
もはや彼女を研究の世界の外に放り出すことができなくなってしまった、と言う社会的要請から来る帰結である。
この社会的要請を見つめ直すなら、逆に理研がその責務を負うと見ることも可能であり、解雇が正しいかどうかも疑わしい。
この先どう考えても一年程度では決着が付かないように思う。
決着するとはどういうことだろうか? 上記のような判断が変わる状況、彼女にSTAP技術は再現できないと皆が断定すること。
この技術が真実であった場合に重要である度合を、帳消しにできる程度まで明確に、可能性が否定できる必要がある。
一年と言う期間は、論文に記された方法でSTAP細胞が生成されるかどうかを確かめるまでの、最低限の期間でしかない。
しかも小保方氏が直接関わってでなければ一年間でも足りないように思う。
論文に書かれていない細かな手順のバリエーションを考えれば、他人には何年掛けても足りないかも知れない。
世間では簡単に真偽を確かめられると思っている向きもあるが、私見では最低でも10年くらいは注視し続ける必要を感じる。
そんなわけでこの問題はまだまだ迷走を続けそうである。
現状では責任追及に走っている研究者も多いが、自己保身が見え隠れして見苦しい。研究に誤謬はむしろありふれている。
それでどうするか? 通常であれば論文が出てからでも検証実験が行われて、徐々に誤りは正されていく。
時々世間の誤解に驚かされるのだが、論文に書かれていると言う事はそれが正しいことを保証するのではない。
むしろ逆に、まだ検証が続くような不確かなことである、と言う含蓄を読み取った方が正しい。
ところが今回は「失敗を許さない」という日本社会の悪い癖が前面に出てしまった。それは正常な科学的探求の態度でない。
研究の世界の常識を忘れて、世間の常識で動いたから、上記の自己矛盾も生じたのである。

(写真について) 特にどうと言うこともない蝉の抜け殻なのだけれど、この抜け殻の写真は特別な意味があって撮影した。
この抜け殻の主は前日の夜コンクリートの上にいた。動かないので最初は抜け殻かと思った。
けれども色合いがおかしいのでかがみ込んでよく見ると中身が入っていた。このまま歩いて行ってもコンクリートが続く。
そこで拾って木の幹にくっつけて置いた。普通は羽化前の蝉の幼虫は地面を歩いているものだし、指に挟めば暴れるものだ。
ところがこの幼虫はあまり動かなかった。しがみつく力も弱いので、枝の出ている部分に乗っけて立ち去った。
翌日その場所を通ったときに、思い出して「あいつほとんど動かなかったからあの場所に残っているかも知れない」と。
案の定ほとんどそのままの場所に残っていた。ただし抜け殻が。わずかに横に移動しただけで、ほぼそのままの場所だ。
逆にもっと弱っていたら羽化できないはずだが、羽化できたから抜け殻が残っている訳である。
つまり間一髪だったのだ。もう歩くことも難儀、今にも背中が割れて平地で羽化が始まってしまう、非常時に私が通りがかった。
そして違和感を抱きながら木の幹に運んでやって助けたことになる。あいつ、そんなに切羽詰まっていたのか!


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