ヒメムカシヨモギが 
  2種類になっちゃった!   2013.10.2 
  

きっとこういうときこそ、「じぇじぇじぇ」と言えば良いのだろう。
オオアレチノギクとヒメムカシヨモギは見分けが付きにくいと言われるが、これまで本気で調べたことはなかった。
かつて初夏に見た際には、「なんだ、葉の付き方だけで遠目にも簡単に見分けが付くじゃないか」と思った。
少なくとも手強い印象ではなかった。
これらの植物はどちらも外来植物で似たような場所に猛繁殖して嫌われている。「オオアレチノギク」はともかく、
「ヒメムカシヨモギ」と言う名前は如何にも儚げで可憐なイメージである。実物を見れば、背も高く茎も丈夫で、
まあ可憐とは言い難い植物だけれど、嫌われた理由はやはり外来生物というのが大きい。

さて8月の下旬のこと、実家の草取りをした。去年両親が施設に入居して家を空けてからまだ一年経たないのに、
庭の雑草が凄いことに。背丈が最大2.5m程にもなっていた。
それがオオアレチノギクかヒメムカシヨモギか、ちゃんと調べずに引っこ抜いた。「もう種が出来ている」と嘆きつつ...
更に時間の許す範囲で植木の剪定をして、慌てて電車に乗って両親の許に向かった。
座席に座って「そう言えばあの雑草が何か調べるべきだった」と思って、“庭の惨状を撮った写真”を見てみた。
写真を見ると明らかに2種類生えている。何で最初の夏から2種類も侵入できるのか不思議だけど。
そこで佐賀に戻ってから写真と一致する植物を探して、同定しようと試みた。最初は良かった。2種類採ってきて、
それらはオオアレチノギクとヒメムカシヨモギの記述に一致した。念のため宮脇先生に見て貰う。
彼の専門は植物 (と言っても地衣類だけど) だから、植物ではいつもお世話になっている。
夏の終わりでは葉が上部にしか残っていないので、初夏と同じ方法は使えない。けれども花や実が付いているから、
むしろ同定には有利な季節の筈だ。と思いきや、実際には「葉の毛が違う」というのが決め手だった。
翌日自転車を漕ぎながら道端の雑草を見て、「あれはオオアレチノギク、こっちはヒメムカシヨモギ」と同定していく。
すると昨日図鑑で調べたのとどうも様子の違う近似種があるのを見つけて自転車を降りる。
紛らわしい植物がもう一種類あるようだ。調べるために昨日の2種類と、新たな1種類の先端30-40cmを採集する。
よく見ると手前のガードレールの陰にアレチノギクも発見した。アレチノギクも紛らわしいが、それは初夏の場合。
花や実のある晩夏には容易に区別できる。背丈も半分以下だ。ついでにこれも採集した。
調べるが「紛らわしい植物がもう一種類」とはどこにも書いていない。検索表で辿ってみると、この新しい草も
辿り着くのはヒメムカシヨモギ。つまりヒメムカシヨモギが2種類になってしまったのだ。
個体変異なら中間的な姿のものが混在するべきだが、こいつらは綺麗に分かれる。
新たなヒメムカシヨモギの方が茎の分岐が少なく、一緒に生えていれば背が高い。葉の毛は似たようなものだが、
葉脈が目立たない分だけ、葉全体がすっきりして綺麗に見える。
検索表を適用するために花を分解してみる必要があった。最初分解してみたときは少し判断が違った。
これらの植物はキク科で多数の花が集まって見かけ上の1つの花を構成している。その中に舌状花があるか否か、
と言う項目がある。昨日のヒメムカシヨモギにそれが見当たらなかった。するとオオアレチノギクになってしまう。
けれども再び宮脇先生に見て貰って、どうやら小さな舌状花らしきものを見つけた。
更に分かったのは「ケナシヒメムカシヨモギ」と言うのが存在することだ。ところが“新たなヒメムカシヨモギ”は
その記述に合わない。そもそも「毛無」ではないし...。やはりただのヒメムカシヨモギに辿り着く。
徳島大であった先日の学会で「毛無」に一致する草を見つけたが、妙に背が低かったので違うかも知れない。
結局「どうも良く分からないけど、ひとまず置いておこう」と言うことにして、上の写真を撮った。左から順に、
アレチノギク、オオアレチノギク、ヒメムカシヨモギ1、ヒメムカシヨモギ2
と言う事にとりあえずしておく。改めて見ると“庭の惨状の写真”に写っていたのは、アレチノギクを除く3種だった。
何とも煩雑だ。徳島の「毛無」は採集しなかったが、それも入れれば更に増える計算になる。
図鑑には載っていなかったが、ただの「ムカシヨモギ」と言うのもあるらしいから、まだ調べ尽くしてはいない。
機会を見てもう一度根性入れ直してから、調べた方が良いと思う。花や葉、茎の拡大写真も撮影しておいた。
室内に舞い上がる綿毛とそれに付いてくる種に辟易しながら。

(舌状花とは) 説明しておいた方が良いかも知れない。これに対する対語は筒状花と言って、花弁が筒状だ。
筒の中に雌しべや雄しべがある。舌状花はその花弁の一部が広がったものなのだが...。
コスモスの花なら分かるだろうか? (下写真) コスモスの花の中心の黄色くフサフサした部分は多数の筒状花で、
花の外周に並ぶ赤紫色の花弁は舌状花の花弁の広がった部分だ。花弁の根元の部分に舌状花の本体がある。
舌状花が複数並ぶことで、花弁が並ぶように見えている。向日葵も同じ構造だ。
    
しかしヒメムカシヨモギの舌状花は小さくてルーペで見るサイズだ。花全体も小さくて、おまけに緑色をしている。
世間ではこれを「花が咲かない」と言いそうな気がするけど、コスモスは「咲く」と表現するに違いない。
常々私はこう言う表現に困っている。何故なら境目が分からないからだ。
同じような構造の花を、「咲く」と「咲かない」に分けられると、「何を判断基準にするのだろうか」と迷ってしまい、
「花は咲きますか」と聞かれて返答に窮することが少なくない。
表面的に答えれば「咲かないのは苔やシダくらい。咲くに決まっている」 だけどそれを聞いてるんじゃないよね。
結局この質問は「綺麗な花と感じますか」という意味で、主観的事柄を質問していることになるのではなかろうか?
「中村から見て綺麗な花かどうか」なら、個人的嗜好に基づいた返事ができるけど、それも何か違うよね?
「他人から見て綺麗」とか「客観的に見て綺麗」とか、無茶な話だと思うんだけど、そう聞いていることになるよなあ。
話戻すと、初めに掲げた写真は緑一色に見えるけど、沢山の花が咲いているんですよ。


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