オヒョウの葉っぱ -不細工だったからこそ- 2013.6.7 |
3-4年前だっただろうか、「知床半島でオヒョウニレが鹿の食害に遭っている」と報道されていた。冬に樹皮が食われる。
そのとき幹の周りをぐるりと一周食べられてしまうと、上下に養分が運べなくなって、大きな木でも枯れてしまうのだ。
だからエゾシカを退治するのだという。その報を聞いて「日本の自然保護も新たな次元に到達した」と私は喜ぶと共に、
心を痛めてもいた。ひとつは鹿を退治しなければならない現実に。そして彼の地のオヒョウのためにも。
オヒョウには特別な思い入れがあった。
(オヒョウはどこに?)
通常の園芸店では手に入らないような樹木も庭に植えて育てている。誰もそのような植物を植えようとは考えないから、
仮に園芸店に出しても売れないのだろう。そう言う植物を入手するには山に探しに行かねばならない。
お目当ての植物を見つけるにはどこに行けば良いのか、図鑑などで分布を調べても多くの場合、余り役には立たない。
九州地方などと書いてあっても、その半分くらいは実際には全く見かけないような連中なのだ。一番は記憶が頼りだ。
「確かあの辺で見たような気がする」と言う場所に向かう。
そうやって見つけた中でも、飛び抜けて手間が掛かっているのがオヒョウである。オヒョウは九州にも分布するはずだ。
けれども見たのは北海道。そこで札幌で学会があったときに見つけてきて、現在それを育てている。
「札幌は町が大きいから」と油断してホテルの予約を急がなかった。ところがいざ予約しようとするとどこも満室だった。
仕方なく岩見沢に一泊することにした。北大にいたので土地勘はあるが、実際に岩見沢に出かけたことはなかった。
札幌が駄目なら千歳の方向で探すか、小樽方面か。一番のひねくれ者が岩見沢なんぞを考える。敢えてそうして見た。
JRの時刻表で列車の便を調べて「この程度なら容認できる」と判断。ホテルの数も少ないが、安いところに電話したら、
あっさり予約できた。さすがに岩見沢には誰も来ていないらしい。
幸運にして岩見沢に宿泊した翌日の予定は夕方にしか入っていなかった。その予定で必要になった一泊だったのだが、
昼間の時間が空いたので、その時間にオヒョウを探しておくことにした。実のところその前日には札幌でも見ている。
北大植物園は札幌市街地にデンと構えていて、学会が終わった夕方に周囲を歩いたら外から見える場所に2本あった。
けれども植物園の樹木を貰うことは出来ないし、そもそもそんな大きな木では運べない。
さて岩見沢でのこと。事前に調べて「渓流沿いを好む」と分かっていた。更に岩見沢近辺の地図も事前に印刷してあった。
岩見沢で探すことに決まった時点でネット検索して印刷しておいたのだ。その地図を見てある程度作戦を立てていた。
更に到着した日の夜にホテルまでの道を歩いた結果、徒歩でオヒョウを見つけるのは困難と見て、レンタカーを借りた。
何しろ半日で見つけられないとアウトなのだ。次に北海道に来るのは何年先になることか。この際費用は度外視なのだ。
小型車が良かったが中型車しかなかった。それを運転して探すが見つからない。2時間以上車を走らせても見つからず、
段々焦ってくる。ところが一旦見つければ付近に沢山生えていた。
まずは車をゆっくり走らせる。道路に掛かる大きな木の枝を車の中から見て、あの特徴的な葉が付いていないか見ていく。
そうやってオヒョウの成木を見つける。次に車を止めて付近にオヒョウの幼木がないか探す。狙いは1メートル程度以下の、
本当に小さなオヒョウだ。そうでなければ運べないし、そもそも掘り起こすことも出来ない。道具も移植ゴテ(シャベル)だ。
ついにオヒョウの成木の枝を見つけて胸躍る。車を降りると、その数十メートル先にもっと大きなオヒョウが生えていた。
道の反対側の茂みの中や、大きい方の成木の根元に、多数の幼木を発見。
小さめの幼木を選んで掘ってみるとどうも“根連なり”になっている可能性がある。つまり幼木と判断したのは間違いで、
成木の根から出てきている可能性があるのだ。全てがそうというわけでもなさそうだが、太い“走り根”を切る必要があった。
こう言う根は植え付けの時に不利なのだ。細かい根が養分を吸収するので、“走り根”だけでは根付きにくいのだ。
根の水分吸収力は小さそうだし、九州の暑い気候は水分の蒸散を促進するはずなので、地上部の枝葉はかなり切った。
ホームセンターを探して水苔を購入し、それで根の乾燥を防ぐようにした。
その日の夜は岩見沢に戻らないから、オヒョウを持参したまま夕方学会の会場に駆けつけた。時間的にはぎりぎりだった。
仕事は学会の運営に関係するもので、理工学部の同僚のサポートだったが、思ったより楽だった。
因みに根を切るのは移植ゴテでは不可能だった。さすがはアイヌ民族が繊維を採るのに利用した植物だけのことはある。
しなやかに刃物をかわして曲がり、カッターナイフでも難渋し、根切り鎌が必要な程だった。
(庭に根付かせる)
庭木にも公園樹にもしない植物だけに、九州の平地で育てた場合の情報が全くない。北国の植物でも人気のあるもの、
例えば白樺とか山毛欅(ブナ)とか、そう言う植物の情報はある程度分かっている。けれどもオヒョウを育てる人はいない。
北方系の植物が九州の森林で淘汰される原因はいくつかある。大きく二つに分けると、
1. 暑さや乾燥に負けたり、害虫や病気にかかるパターン
2. 花が咲かなかったり、種子が出来ないパターン
オヒョウが生息できない理由がひとつ目の場合には、庭で育てるのも苦労するはずだ。人気の植物なら栽培法が確立して、
「○○の農薬を使う」などと記されている。一方ふたつ目のパターンなら問題なく育つが、そのどちらなのかが分からない。
もし極めて栽培しにくい植物なら初めから遠慮しておくが、オヒョウは実験するところからスタートしなければならなかった。
最初は鉢植えにする方が安全で、それで根付かせて細根を出させる。鉢の方が水分供給が一定し、過湿や乾燥の危険がない。
また様子を見ながら簡単に場所を移動できるのも鉢植えの利点だ。植えた直後は、根付くまで日陰に置くのが良いが、
そのためにも鉢植えは好都合だ。何しろ北海道からの“養子”受け入れだ。自分の為し得る最大限の世話を焼くことにした。
学会なのだから時期も選べなかったわけだが、すぐに全ての葉がひからびてしまった。その年の内に新しい葉が出たけれど、
秋に葉を出すのは樹木にとって相当な負担になり、来春の新芽の展開のための栄養を使ってしまうのだ。翌年は危惧した通り、
なかなか新芽が出てこなかった。秋遅くまで葉を付けていたし、季節感が狂ってしまったのである。何とか遅めの葉を出した。
けれどもその後は意外に丈夫だった。数本の幼木がみんな根付いた。
真夏になっても日向で平気だった。日向と言っても半日は日陰だが。東向きの壁の前に置くから午前の日光だけが直接当たり、
午後は散乱光のみを受けることになる。植物も午前の光が好きだ。午後の光は赤外線の比率が高くなって、温度上昇の割に、
光合成に有効な光が少ない。だからこの場所は有利な環境なのだが、この条件で大丈夫だった。
翌年目的の場所に2本植え付け、1本は植木溜めにする目的で所有している別荘地に植えて、残りは念のため植木鉢に残した。
周囲はアラカシの木に覆われていて十分に日光が当たらないが、完全にアラカシの枝を払ってしまうと逆に負担になるので、
これまで同様に午前の日光だけが直接当たるように、西側のアラカシの枝は残した。
最初の3年ほどは頻繁に様子を見て、アラカシの枝が伸びてきたら切ったり、根元の土が崩れたら土を補充したりしていた。
根元には一緒に採ってきたナニワズ(黄色ジンチョウゲと言われることも)を植えてみたが、これは2年後に枯れてしまった。
大きくなって来てからは年に2-3回しか様子を見ていなかった。植え場所が庭と言っても敷地の一番奥というか裏手というか、
アラカシやナンテンの枝をかき分けて行かなければならないような場所なので。
先日久しぶりに見に行ったら斜めに傾いていた。去年の秋から見ていなかったが、知らぬ間に何か良からぬ事が起こっている。
翌日、幹に虫が侵入していないか丹念に観察してみたが、どうもそう言う形跡はない。アラカシの枝の整理を怠って、
オヒョウの樹冠に被さり始めていた。普通常緑樹より落葉樹の方が成長が早い。だから「もう大丈夫だろう」と放置していた。
けれども元々が背の高いアラカシの成長には勝てなかったのだ。それが原因と判断したが、逆にそれなら驚きでもある。
オヒョウの幹は直径3センチほどに生長している。それを自らの必要に応じてアラカシの枝のない方向に倒すことができる、
そう言う意味になるからだ。
とにかくアラカシの枝は整理しておいた。今度はある程度西側の枝も切った。そして倒れたオヒョウの幹をシュロ縄で引き、
アラカシの枝と結んでおいた。以前も同じような方法でオヒョウの幹を支えていたが、今回は大きくなっていて重かった。
(不細工な葉っぱ)
ところでオヒョウの葉を初めて見たとき、「なんて不細工な葉っぱだろう」と思った。普通の紡錘形をした葉の先端をちぎる、
あるいは紅葉のような分裂葉を束ねて、先端だけ分裂したような形にする。要するにオヒョウの葉は「分裂葉か不分裂葉か」、
どちらにするか迷っている内に形が定まってしまって、どっちつかずの変な形になってしまったような感じなのだ。
最初にこう言う出会い方をすると後から好きになることがある。全然違うジャンルになるが、電気機関車にEF58と言うのがある。
これに当初私は格好悪いと感じた。けれども今は好きである。当初の感覚がどうしても思い出せないのはオヒョウと同じだ。
かつて庭に植える植物を構想していたときに思った。「あの不細工なオヒョウを植えたい」 北海道で出会って「不細工だ」と
思ったはずの葉っぱが、今見るとどうにも魅力的なのだ。
けれども園芸店でも売っていないし、ネット検索しても「鹿の食害」の話や、自然の樹木を観察した記録などは載っているが、
苗木の販売は見つからなかった。そう言えば魚のオヒョウの話の方がネットには多いかも知れない。1メートルを超える、
巨大なカレイで北国での豪快な海釣りで「知る人ぞ知る」と言う事のようだが、ネット検索するまで私は知らなかった。
樹木と魚のオヒョウはどちらが先か、語源に関する議論があるようで、いずれにしてもアイヌ語が語源になっているらしい。
カレイの平たい身体は樹木の葉っぱと似ているような気がする。ただしその点は、オヒョウの葉とは限らないとは思うが。
魚のオヒョウを知ってからはそちらが先かと思ったのだが、樹木のオヒョウは樹皮の意味のアイヌ語から来ているとのことで、
魚が語源ではないようだ。お互い独立の可能性もあるようだ。
さて話を戻してオヒョウの入手だが、九州の山に登って山毛欅を見つけるのはそう珍しくはないが、オヒョウは見た記憶がない。
念入りに探せば多分見つかるのだろうとは思うが、何せ見たことがないのだから自信がない。北海道に行く機会は少ないから、
学会で行くときに探しておかないと、後々後悔するかも知れない。そう思ったのだった。
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